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2018-10-08

吐き気あがりの、とりとめなき五十鈴川だより。

一昨日土曜日の夕方、弓の稽古に出掛けようとしたら、急に吐き気を催し汗がじとーっと噴き出してきて、いきなり吐いてしまった。

やむなく弓の稽古はお休みに。横になって休んでは吐き、休んでは吐きを5回くらい繰り返し、胃が空っぽになるまではいたら、ようやっと気持ちの悪さが収まった。

どうも食べたものに当たったらしい。私は食べ物に対してもったいないというという感情が、沁みついている環境に育ったせいか、少々古いものでも平気で口にする悪い性癖があるのが、災いしたらしい。

それと、身体の疲労で体力が弱まっていたのが重なって、身体が耐えられなかったのだと思う。だが昨日一日しっかりと休んだおかげで気分も回復、夕方くらいから再び食欲もゆっくりと戻ってきて、今朝は妻と二人で和食の朝ご飯をゆっくりといただくことができた。(モロヘイヤ、油揚げ、ナスのお味噌汁を私が作った)

妻は私が吐くのを初めてみたといっていたが、私も前回はいたのを思い出せないほどに長い間吐いた記憶がない。

20代は、お酒が弱いくせに飲んでよく吐いた記憶があるが、この数十年は吐いた記憶がない。あらためて健康の有難さが沁みるとともに、若いころよりも免疫力他、体力が低下しつつあるのだから、食べ物にはくれぐれも注意しなければと思い知らされた。

とはいえ、たまにはこういうこともないと、人間というか私という生き物は、すぐに忘れてしまうので、よく反省しなさいとの天の声と思うことにした。

悪いものを全部体が排せつしてくれたおかげで、今朝はそこはかとなく体が軽く、身も心もいい感じである。いつにもまして朝の 陽光がまぶしく感じられる。

近所の造園業者からもらった冬用の薪の材料、涼しくなったら薪づくり

陽光に照らされた金木犀の花が一段と鮮やかだ。 禍を転じて福と為すという言葉があるが、天はゆきすぎたり、やりすぎたりすると、バランスを取らせるために、このような仕打ちをするのであると知る。

弓の稽古ができなかったのは、残念だったが、天が休みなさいといっているのだから、素直に休むことにし、ただひたすら横になり、吐き気が収まってからは、水分補給のために、リンゴジュースと、甘酒を飲んで丸一日固形物を採らず体を休めた。

私の場合オーバーワークや、季節の変わり目には、身体が敏感に反応し、発熱したりして休むことを余儀なくさせられる。年に何回か必ずこのようなことが起こるわが体の内なる警告には素直に従うことにしている。

話は忽然と変わる。昨日、気分がかなり良くはなったものの、幾分体がまだだるかったので、長女に読ませたい新聞の切り抜きを送るための(写メでも送れるが)手紙をしたためて、局まで自転車で投函しに行った。体の力が抜けていて、すらすらとあっという間に文章ができた。

最近、手で文字を書くという行為をできるだけ楽しもうという、自分がいる。特に身近な家族や、大事な姉兄弟 とかには、火急の用がない時には折々、便りを綴るいっときなどが、ことさらに幸せな感情を抱かせる。

手紙を開封するときの気持ちはなんとも言えない。私は今となっては、時代の推移をただただ眺めているに過ぎない、傍観者的初老昭和男子である。

幸い3連休で、今日までゆっくりと体を休め、明日から普段通りの活動に戻る予定。健康は何物にも代えられぬ、ありがたき宝である。

病み上がりならぬ、吐き気あがりのとりとめなき五十鈴川だよりになった。








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