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2018-10-29

約10日ぶり、肉体労働の仕事の日の夜明けの五十鈴川だより。

とりたてて、なにかを綴るぞというような、力みがかった自分が消えつつあるような塩梅の最近の五十鈴川だよりであるが、これがいいことなのかどうかは自分でも判然としない。

ただただいえるのは、あまたの川が蛇行を繰り返しながら、流れるようにしか流れえないように、五十鈴川にあやかっている、わが拙き日々日録的雑文は、つづれるようにしか綴れないのである。(いつもあの川の流れを想う自分がいる)

右往左往を今も繰り返しながら、(右往左往できるということは、ありがたいことである)有難く日々を生きながら得ている、自覚がある。

老いつつも想う一番の幸徳は、 若い時と違って拙文を綴りながら、内省的時間を綴れることである。還暦までの自分は日々のいそがしさに、忙殺され、おのれを顧みるような時間をなかなかに持てずにいた、あるいはそれをいいことに、あえて目を向けずにいたような気がしている。

いまこの年齢になり、ようやっと内省的な時間が持てる今を ことのほか、ありがたいと感じている。
坪内逍遥訳ロミオとジュリエット(まさか読む日がこようとは)

内省ばかりしているのではなく、新たなことに挑戦し(これは弓の稽古のこと)具体的に何かこれまで不得手にしていた、家事雑事なども、このところ、しっかりとやり始めている自分がいる。

食後の食器を 洗って片づけてしまうところまでをきちんとやる自分がいる。

掃除や、整理整頓が苦手な私であるが、ほんのわずかでも苦手なことを克服できるように、老いを理由にすることなく、今しばらく老骨をゆるやかに使ってゆっくりとこなそう、と思案する私である。

 ところで、今日は10日ぶりに午前中肉体労働の仕事がある。毎日だとほかのやりたいことに支障があるので、月に18日の午前中肉体労働の仕事が、今の自分にはきわめてふさわしい。

体が動くから拙文も綴れる。妻との二人の暮らしの中で、読み書き、草を刈り、声を出し、弓をひき、食べ、そして眠る。わが初老循環生活である。

シンプルこの上なき、天の下でのわが暮らしを感謝し、今日も肉体と対話し一日を堪能したい。

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