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2018-10-19

【五十鈴川・清き流れはあればあれ・我は濁れる水に宿らん】

昨夜床に就いて、五木寛之さんの、すらすら読めるが、なかなかに含蓄に富む、【とらわれないと】いうエッセイを読んでいたら、いきなり、(五十鈴川・清きながれはあればあれ・我は濁れる水に宿らん)という歌が目に飛び込んできた。

何せ私のブログは、故郷を流れる五十鈴川に想いをはせた、還暦を過ぎて書き始めた、原点帰りというか、老いてゆく下り坂の、初老男の想いを綴る、五十鈴川だよりなので、五十鈴川という文字に、目が釘付けになったという次第。

話は飛ぶ、私が高校3年生の時、高校があった日向市で 五木寛之氏の講演会が行われ、当時直木賞を受賞されたばかりの、氏のお話を聞いた記憶が鮮明に私の記憶にはある。

(氏のお話を聞いて私はふるさとを飛び出す決心がついたように思う)

やさぐれて、どこかシニカルで、1932年生まれの氏は、当時38歳であられた。カッコよかった。



以来、あれから幾年月、小説の類はほとんど読んではいないが、エッセイの類は折に触れて、今も時折読んでいる。(あれから半世紀近く、氏は今もカッコイイ)

理由はいろいろあるが、文章が平明で読みやすく、何よりも私のふるさとに近いところの、ご出身であり、言葉の訛りに親近感を覚えるし、何よりも氏が私の両親と同じ、教育者であり、北朝鮮からの引揚者であるという、一点に尽きるのではないかと、考えている。(人間の阿修羅のごとき現場を、氏は思春期に原体験、そのトラウマが氏を作家にしたのだと思える)

氏の時代と人間を傍観者的に思索的に眺める、独特の視点ははなはだ貴重である、しかも好奇心は今に至るも 衰えず、現役で淡々とお仕事をなさっている、強靭な持続力には驚嘆する。

自由気ままに生きておられるかのように、デラシネを自認しておられ、軽く書かれているが、内容は深く重い。10代の終わり、風に吹かれて、というエッセイに、私がどれほどの影響を受けたのかがわかる。

たぶん氏のエッセイを読まなかったら、異国自費留学は思いつかなかったし、なしえなかっただろう。シベリア鉄道に乗って帰国するという発想も生まれなかっただろう。

早稲田大学に入学はしたものの、極貧の学生生活。私も演劇を学ぼうと田舎から淡い夢を見て上京し、氏には遠く及ばないものの、ある面どこか共通するかのような都会生活。あの赤裸々な青春生活エッセイにどれほど救われたことか。 (生きるということはかくも厳しいのである)

高齢になられてなお、老いるということに関して、ご自身自体を見つめるまなざしは、作家の宿命的業を感じさせ、人生の先輩のデラシネの矜持がいかんなく発揮され、今の私の何かを触発する。惹かれる。

ずいぶん時間が流れたが、高校生の時に啓発されたように、半世紀の時が流れ、今また再び巡り合ったかのようにさえ感じる、のである。

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