ページ

2018-10-20

草刈り初老男、天空に向かって声を放つ。

すがすがしい秋の陽光が、娘たちが使っていた、そして今は私の自由気まま空間として使っている部屋に、差し込んでいる。

窓から日差しを浴びながら、とらわれることなくどこからか湧いてくる言葉を、五十鈴川だよりに書き綴れるいっときに、私はささやかな、幸福を感じる。

さて今日から10日ほど、肉体労働の仕事はお休みである。お休みの分今月はこれまで、午後も何日か仕事をした。今働いている肉体労働の仕事は、時間の都合がつくので私にとってはとてもあり難い。

実は孫に会いにゆく予定で、10日ほど空けられるよう調整していたのだが、もう少し待てば、レイ君と望晃くんが11月には帰ってくるし、ちょっと家庭の諸事情で、上京はよすことにしたのである。

ということで、ぽっかりと空いたこれからの10日間をどのように過ごすかということだが、基本的には普段通りに過ごしたいという思いである。

午前中空いた時間、普段やっていることをもっと増やして、リズムよく一日が送れるように、と考えている。今週は遊声塾もお休みなので、今日を含めて弓の稽古に出掛けるだけなので、たまさかの貴重なオフタイム、静かに学びの時間を 増やしたい。

ところで肉体労働の仕事、ほぼ2カ月があっという間に過ぎたが、身体の調子がとてもいい。上手ではないが、20年以上中世夢が原で、草刈りほかの肉体労働の仕事に従事してきたおかげで、天の下での体動かしが私に合っている。

一人有酸素運動、芝を刈ったり、草を刈ったりしていると、ゆるやかに時が流れ、どこかで、知らぬ間に自分自身と向かい合っていたりする。とにかく体が動く(ける)有難さ。

この間、私の仕事ぶりを見ていてくださった上司の方が、あまり無理をしないようにと、声をかけてくださる。皆さん親切で感じがとてもいい。

仕事さえきちんとやれば、私のペースでやっていいので、私にとってはまことに持って有難い、というほかはない。限りなくストレスがないのである。

話は変わる。夏の猛暑の中での、リア王の声出し稽古を何とかやり遂げ、9月から塾生とのロミオとジュリエットの 声出しが、始まっている。
いろんな翻訳の日本語で作品を読む

遊声塾も6年目に入る。現在塾生は7名、(夢のようである)私を含めてお休みの人がいない日は、8名で輪読をするのだが、やはりこれくらいの人数で声出しすると、皆の気が気を呼び、思いもかけず、愉しい声出し稽古ができる。まことに持って、人間の体は不思議な声を発する。

声量というものは老いと共に、落ちる。肉体の老化と共に、肺活量も筋肉もあらゆる器官が。だが歳を重ね、作品を深く理解したり、これまで気づかなかったことに気づくようになるとといった点では、成熟の熟慮の果てに得られる、老いの幸徳を私は実感している。

だから何とか持続継続ができている。踏ん張って、かろうじて体が動き、声が出せている。生きて動いて働ける間は声を出し続け たいと、今のところ念じている。

繰り返し書いているが、月謝をはらってまで、個人的に思いついた私塾に参加してくださる塾生に私ができることは、と問う。

30年ぶりにシェイクスピアの翻訳(いろんな翻訳の日本語の素晴らしさに感動する。私は翻訳の日本語のシェイクスピアの言葉を声に出したいのである)による言葉を声に出し、言葉と格闘しているのである。(格闘しないと自分の内面が磨かれないのである)

毎回、身体がついてゆかず、悲鳴を上げる。やがては体が白旗をあげる日が、近未来やってくることは、頭では自明の理である。

でもその日、悔いなく白旗を掲げられるように、虚空にむかってらせん状に声を放ちたいという思いの消えない、初老草刈(正雄ならぬ)天邪鬼の私である。



0 件のコメント:

コメントを投稿