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2017-01-29

3月25日・第4回シェイクスピア遊声塾【恋の骨折り損】の発表会をします。

3月25日(土曜日)午後(時間は未定だが、1時半からの予定)、シンフォニーホールのイベントホールでシェイクスピア遊声塾の第4回発表会を行うことにした。

61歳、夢が原退職後、すぐに立ちあげたシェイクスピア遊声塾。これも書いた記憶があるのだが、正直30年本格的に声を出していなかったので、まったくゼロからの出発の気持ちで(過去を振り返らず)不安を抱えてスタートした塾である。

40歳で岡山に移住した時も、背水の陣で心機一転出発した。振り返ると田舎から上京したときが、第一回目だとすると、遊声塾を立ち上げた時が5回目の転機であったのだという気がしている。

それは生きることにせわしなかった私の人生で、思いもかけずインタビュー本の(される側の)5人の中の一人になったことで、(現時点で) いやでも応でも振り返らざるをえない羽目に陥ったからである。

話を遊声塾の発表会に戻す。もう4回目の発表会なのである。立ち上げた私が言うのだから間違いない、このご時世に、私のはなはだ個人的な私塾が続いていることは、私にとってははなはだ奇蹟的な出来事である。

この塾は退職後のヴォランティアの塾ではない。ちょっとでも声をだしてみればわかるが、あの膨大な言葉をきちんと声に出すことは、半端な努力ではなかなかなに困難を極めることなのだ。

今はまだ振り返らないが、遊声塾6名とカルチャーセンター2名の生徒さんがいる。塾費を払ってくださってまで、シェイクスピアの言葉を声に出すことを続ける塾生とともに、今を生きている声を発したいと思わずにはいられない。

確実に老いてゆき声が出せなくなるからこそ、出るときに可能な限りの声をだし、(あかんと思ったら、潔くやめるだけである)終わりがあるから素晴らしいと考える側に私は立つ。だが今は、まだじたばた声が出る。出る声にしがみつく老春の私だ。
ピーターブルック演出・テンペストのポスター


今年の 遊声塾の発表会は【恋の骨折り損】である。セリフの量が多いので、少しテキストをカットして休憩をはさんで、なんとか2時間半で収まるようにしたいと考えている。

主な登場人物だけで17人出てくるのだが、これを私も入れて7人で読んでも、ひとりが2~3人のパートを読まなければならない。

聴いている方は、ひとりの人がいろんな登場人物の声を出して読むことになるので、こんがらかるのは必定なのだが、なんとかそこのところを知恵を絞って 乗り切りたいと考える。

いそがしく働きながら、毎週水曜日必死で稽古にやってくる塾生たと声を出しながら過ごせる現在の私は、私にしかわからない充実感につつまれる。

人数の多寡では量れない、生み出しえない、お互い情熱をぶつけ合っての赤裸々な声だしは、絵にかいたような内実のうすい会議的な儀礼的声とは対極の、まさに生きている声なのである。共にシェイクスピアという山に登る仲間との関係性は深まる。

当たり前だが、400年前シェイクスピアが生きていた当時の時代の人々は、 当時の名優たちが発する言葉に一喜一憂したに違いない。

死と生が、今とは違って隣り合わせのような時代のなか、限りなく今を生きることに燃焼していたに違いないと、私は想像する。それは日本だって同じではなかったろうか。(いま、一体全体私たちの生命の源の肉声はどこをさまよっているのであろうか)

限りなく無謀な塾の発表会であることは、重々承知しながら、限られた仲間と声を出し、シェイクスピアの言葉遊びの世界がほんの少しでも伝わり楽しんでいただけるように、塾生と共に 精進しますので、ご寛恕のお気持ちで足をお運びくださいますように、と祈らずにはいられない。



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