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2017-01-07

年末年始に届いた思いもかけない贈り物。

起きたばかりで外はまだ暗く、もう何十回も書いているかとは思いますが、この夜明け前の静かニューウトラルな体の状態が私はことのほか好きである。

書いているうちに休んでいた脳が徐々に動き始め、時間が経つと何やらつづれているというのが、いいのである。

だがそういう場合だけではなく、寝る前とかに大まかに明日は何を書こうかと考えることは多々ある。すべてのことはそうだと思うのだが、何事も続けているとなにがしかの結果が必ずともなうということである。

持続的に意識を集中することは、訓練が伴う。世の中に出てから私が気づいたことは、私にはそのことが欠けているという気付きがあって、そのことがあらゆるトラウマのように覆っていた ように思えるが、かなりのトラウマが、妻と出合って30年の暮らしの中で、すべてとは言わないがかなり消えつつある。

(そういうことがようやく65歳を迎えるにあたって、臆面もなくつづれる年齢になってきたということ、要するに歳をとってきたということだろうと思う)

それはある種の目標を(どんなに些細なことであれいいのだ)たて、一つ一つクリアしてゆく中で、少しずつ消えつつあり今現在も、ささやかな目標を今年も立てているのだが、それをここに書くことは控える。

それは、自分の内なる世界のことであるのでまったく他者には関係ないことだからである。ところで話題を変える。


昨年末と元旦に、とてもうれしいプレゼントが私宛に届いた。一つは私が生前、美星町で大で大変お世話になった世界的な尺八奏者であられた横山勝也先生のお嬢さんのMさんから、生前先生が使われていたというドイツ製のペリカンの万年筆。

元旦に 届いたのは、藤原新谷さんからの本で、最新作の御本(魚のおひょう、漢字変換が でない)。

もうものすごくうれしかった。くどくどとは書かない。横山先生は7年前に他界されているが、お二人とも私が尊敬している方がたからの65歳を迎える歳の偶然のプレゼントだったので、ひとしおの感激が私を襲ったのである。

 いつの日にか、お二人のことをきちんと一文を綴れたらとは思っている。20代の終わりから30代初め悩み多き時代に読んだ藤原新也さんの東京漂流ほかの著作。

美星町で悩んだときに、いつも私のやっていることを励ましてくれた横山勝也先生のことは、生涯 私の中から消えることはない。

出会いとはまさに奇蹟的である。今年も自分なりにきちんと生きようと思う。

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