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2017-01-17

一匹オオカミの推敲原稿、なんとか書き上げる。

早一月も半ばを過ぎた。
竹韻庵には相棒メルは欠かせない(S氏が撮ってくれた)

昨年5月禁酒会館で行われた一匹オオカミ(私はオオカミには程遠い、迷える子羊程度の存在である)のインタビュー本の推敲、自分で発言した部分の話し言葉の、(書き起こす作業)推敲を、この10日近く時間を見つけて進め、ようやく最後までたどり着くことができた。

なにせ、わたくしごときの64年間の人生であれ、1時間45分で、駆け足で語ったものを、文章として書き起こすのは、やったことがないし、はなはだ時間のかかる根気のいる作業であったが、何はともあれ表層的な表現であれ、何とか
A4の用紙22枚書くことができて、正直ほっとしている。

正直、もういやになりそうな時も何回かあったのだが、そのことに関してはブログで書くことは控える。

どのような形であれこのような機会が訪れない限り、65歳を前にして、まとまった文章を書く機会はなかなかに持てることはなかったであろうから、私としては私自身の書いた拙文を(限られたスペースに) 何としてもかきあげたかった。

見出しもなんとかつけ、要所要所にいれるポスター資料や、写真資料を選ぶ作業にもゆっくりと入っているが、一月中には片をつけたいと思っている。(5月には出版される予定)

昨年から、自分にしかわからない大きな節目の年を迎えているのを、身体で感じている。時間が有限である、そのことを可能な限り意識して(なかなかにかなわないにもせよ)、なるべく一日時間を大切にしながら、優先順位を決めて、今年からは以前にもましての日々を送っている。

 とはいうものの、何十回も書いている通り、人間は絶対矛盾の塊、私などはその最たるものである。真面目と横着をいったり来たりしているのが、わが人生なのだと答えるしかない。

歳と共に、なにごともゆっくりにしか事が運べないのである。これは畑の作業からあらゆることに言えるのであるが、文章を紡いだり畑の草を抜いたりするのは、走ったり跳んだりするのとは違って、老いつつあるなかでもさほど体力はなくても、つまりは若くはなくてもできるので、今の私には重宝なのである。

いまという現在が、自分の人生で一番若いのだという意識でもって、日々を過ごすように努めれば、何やら冬の日差しが若やいで暖かく感じられようというものだ。

そう、言葉では何とでも日々を彩ることができるのだ。言葉は魔法だ、だから私は人生の師、言葉の魔術師シェイクスピアに惹かれるのだ。

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