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2016-11-19

竹韻庵に、母と赤玉ねぎをうえました。

旅から帰ってまだ一週間、なにやら幸せな感覚がいまだ体をおおっている、その感覚をいつくしみながら日々を送っている。

さて、竹韻庵に昨日母とゆき、赤玉ねぎを200本ほど植えた。竹韻庵には水道がないので、雨が降りそうな前の日を選んで植えるようになるべくしている。

夢が原退職後、一念発起して、体が動くうちにほんの少しでも土仕事を母に倣って始めた私だが、やはり何事も丸3年はやってみないとだめだと思い知らされている。

この歳になって改めて思う、物事をなすには何よりも丁寧になさねば、何一つ手にすることはできないと。何事もすべてそうだとは思うが、あらためてその実感に襲われる。

母と畑に行くたびに、その丁寧な仕事、土をいとおしむかのような、その84歳の体の、指先の動きに私は打たれる。

だから、最近 母との畑時間を、私は何よりも最優先している。目と鼻の先にこれ以上はない土いじりの先輩がいるのだから、感謝するほかはない。

母は野菜作りに関して、書物を一切読んではいない。 ただただ自分で経験を積んできただけである。義父がなくなって16ねん、ひたすら小さな庭に野菜を植えることを生きがいのように今も続けている。我流だがその野菜の出来栄えは見事である。何故か?


その母の育てた愛情野菜を、わが家族は今もいただきつつ、日々を送っているのだが、その愛情の源は、どこから出てくるのかを、私は母との土仕事の中から学びたいのである。

ところで、今年は玉ねぎの苗が入荷不足で 、どこに行っても赤玉ねぎの苗は売っておらず、あきらめかけていたのだが、長船の農家さんを紹介してもらって訪ねたところ、偶然分けてもらうことができた。

すぐ母に電話したら、直ぐ植えにゆこうとあいなったのである。母は今年の夏、宮崎に初めてゆき、我が家のお墓参りをしてからというもの、ことのほか元気で私を驚かせている。

針仕事と野菜作りという晩年時間を、悠々と過ごしている母を見ていると、私もかくありたいと願うのである。

その家族のために役に立ちたいという、母の思いの深さに私は脱帽するのである。小さきことに対しての、一途さ、健気さ、愛情の深さに。

竹韻庵について 、私も母も先日植えた玉ねぎの上に柿の葉っぱがたくさん落ちていたのだが、私と母は、まずその落ち葉を取り除くことから始めた。

こんなことを書くと面はゆいのだが、愛情というものはどうしたら自分の中に根を生やすことができるのかを、母との暮らしの中で私の中に根付かせたいという思いが、深まる晩秋である。

ところで明日、富良野塾の創設者、倉本聰先生の講演会がおかやまで開かれるので、本当に久方ぶりに先生にご挨拶し、そのあと急だが門川(五十鈴川)にお墓参りに帰ることにした。

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