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2016-11-08

岡山映画祭にゆきました、そして思う。

先週から昨日まで、ことのほか多忙な、しかし充実した日々を私は送っていて、今日やっと五十鈴川だよりを書く時間が訪れ、ささやかな幸福感に体がつつまれている。

さて、二年に 一度開催されている岡山映画祭が一昨日の日曜日に終わった。私は木曜日から日曜日にかけて、6本の作品を見ることができたがいずれも素晴らしい作品ばかりで、このようなフィルムを岡山の地でまとめて集中して見ることができて本当に良かったと、今も書きながらおもっている。

一応私が見たフィルムだけでも書いておきたい。【幕が上がる・本広克行監督】【大地を受け継ぐ・井上淳一監督】【奈良ゆみ 歌に生き 愛に生き・宮岡秀行監督】【幸福は日々の中に・茂木綾子監督】【人魚に会える日・仲村颯吾(りゅうご)監督】【レイルウエイ運命の旅路・ジョナサン・テブリツキ―監督】以上。

全16作品のうちの6本を見ることができたのだが、【今、受け継ぐもの】というテーマのもとに、なかなか岡山では見るチャンスのない多様な作品群を、観ることができたことについて一言の感謝を、わが五十鈴川だよりに記しておきたい。

私も企画者の端くれを、20年以上 続けてきたからよくわかるのだが、何か事をなすには相当な継続的な忍耐を強いられるので、岡山映画祭のスタッフの努力に拍手を送りたい。

重いテーマの 作品も多く、簡単に印象感想を書くことは、みたばかりだし控えるが、いずれも観る側が真摯に受け止め、考えながら日々を送らねばと思わせるに十分な内容の、私が見た6本のフィルムであったことはしっかりと書いておきたい。

そこで、いきなりいつものように話は変わる。昨日、竹韻庵に朝一番にゆき一人で300本の玉ねぎの苗を植え、いったん家に戻り昼食をし、すぐまた今度は母も一緒に竹韻庵にゆき、母と二人で700本の玉ねぎを午後4時近くまでかかって何とか植えることができた。

本当は300本で終える予定だったのだが、今日雨が降りそうな予報だったので、お昼家に戻った時に、できたら午後も植えたいので一緒に行ってほしいと母に頼んだら、二つ返事で引き受けてくれたのである。

徐々に日没が早い季節の今、母と二人で1000本の玉ねぎを植えることができたのは、きっと岡山映画祭の今、受け継ぐものというテーマと、私が見た作品の数々が、私に力を与えてくれたからではないかと思っている。

感動はなかなかに継続しえないものであるが、だからこそ野菜に水を上げるように、わが心にも映画をはじめとする多様な芸術や文化的なビタミンをときおり心に注がねば、わたしみたいな単細胞な人間は、危ない危ない、流されると反省するのだ。

こんなことを書くとひきも切らず書きたくなってしまうのでやめるが、 私なりに今受け継ぐべき個人的足元の大事の一つが母との畑仕事、体動かし時間である。

母が元気なうちに、母から野菜の育て方を学び、母との思い出を体に刻み付けたいのである。

岡山映画祭で私が見たフィルム、原発被災後の今も続く大きな問題、また基地が集中する沖縄に生きる、若き才能の発信フィルムは、私自身の今を問いかける。

とりあえず、畑で母と作物を作り続けながら、私自身の足元を確認しながら、遠くであらゆる困難を抱え生きておられる方々に対して、ささやかな想像力を養い続けたいと思う。

岡山映画祭は、社会の一隅で真摯に生きておられる方々に 、寄り添う稀な映画祭である。岡山市民の一人として、私に可能なことはこのような形で何か反応し、何よりも映画祭に足を運び良き観客になることである。

見るためには、出かけてゆく健康な足腰が必要だ。パソコンはこれくらいにして昨日飢えた玉ねぎの様子を見にゆきたい。



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