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2016-01-26

2016年、私は30数年ぶり舞台に立つことになりました。

1932年生まれ、83歳の五木寛之さんが、【嫌老社会を超えて】、という本を書かれている。氏の小説はほとんど読んでいないが、若いころから今に至るも 、エッセイの類はかなり読んで影響を受けている。

氏の思考能力の柔軟さは、(根源といってもいい)どこから来ているのかが 伺え興味深い。

氏をはじめ、佐藤優さんなど私が好きな作家が、冷静な時代観察者として、主に本を通じて発言されているのを読むと、単細胞の私などはへえーっこんな見方、考え方もあるのかと 驚く。

いま日本は超高齢化社会に突入し、私も含めた団塊の世代の多くがまさに岐路に立たされているかのように、オーバーではなく、生き方征き方を迫られているといっても過言ではない。

五十鈴川だよりを書き綴る中で、未知の、当たり前だが、初めて経験する自分の老いてゆく移ろいを、今後ますます自分は書きながら、やがては書けなくなるのだから書いておこうという自意識から逃がれられない。

以前も書いたかもしれないが、もし私が父の年齢まで生きられるとしたら、これから20年近くを生きるということになる。

ゼロ歳の孫がいたら二十歳になるというわけだ。未知の領域の老いてゆく体を見つめながら、いかように生きゆくのかということについて、ささやかに考え続けながら、書き続けてゆこうというくらいに今は留め置く。
ドレスデンでの妻と下の娘

さて話は変わるが、今年は私にとってまた一つの大きな転機が訪れることになった。私は若いころ演劇を学んでいたのだが、その世界からは足を洗って岡山に移住した。

あれから丸23年が経過する今年、ほぼ3数年ぶりに舞台に立つことになった。これは私にとって全く意外性に富む、予期しない出来事である。

昨年から私のブログを読んでおられる方はご存じだから、くどくど書くことはしない。昨日本番の日にちが決まった。

7月29日(金)夜、場所は岡山ㇽネスホールである。S女史の舞踏と、私のシェイクスピアの言葉(夏の夜の夢からの抜粋)のコラボになる。思いもかけぬオファーを私が受けた形である。

一度は断念した演劇的世界を、なぜ今やることにしたのかを書くのは、上手く伝えられないので省くが、ただ一つ言えることは五木寛之さん流の言に倣えば、自立(律動)した老人を目指したいからである。

それから、第三回のシェイクスピア遊声塾の発表会【間違いの喜劇】は、【4月2日(土曜)午後2時】から、翌日【4月3日、同じく午後2時からヒダカトモフミが一人で、間違いの喜劇を、全幕一人で遊読します】あくまでも、個人的な発表会です。

いずれも入場無料です。簡単なチラシを作るつもりですが、先着 40名程度なので、五十鈴川だよりを読んでくださっている方は、今日から受け付けます。ご高覧くださいますようお願い申し上げます。





2 件のコメント:

  1. 3日共参加予定しています。
    私の出来る範囲で応援します。
    楽しみにしています。

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  2. ちょっと まだ 予定が立てられないのですが 4月2日か3日のどちらかには 行かせて頂きたいと思います。また ご連絡します。

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