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2016-01-17

週末妻と母と3人でDYYをして平凡を遊ぶ。

昨日、約ひと月以上我が家の北面にあった足場がようやく解体された。お正月前後約2週間は全く壁に関しては、何もしてはいなかったのだが高いところの傷んだ通気口の修復などを妻がセンス良くやってくれたので、ほぼやれるだけは自力で何とかやれた。

9時から始まった解体は、設置するのとは違って正味一時間とちょっとですんでしまった。足場が無くなりすっきりしたので、妻はこの際北面に置いてあったガーデニングや家庭菜園に必要な道具やもろもろ一切をコンパクトに収納する、小さな雨除けの小屋を作るべく知恵を絞り、私と母が手伝った。

結果、午後3時過ぎには見事な収納小屋が完成した。(写真をまたいつの日にかアップします)経費はゼロ、ほとんどありあわせの材料で創意工夫しての見事な仕上がり、手前みそではなく妻と母はやはり親子、実に似ていて不要と思えるような残材のあれやこれやを、上手に工夫する。

DYYをまさに楽しんでいる。妻の働く会社の近くのほかの会社から不要になった分厚いコンパネの半分を2枚いただいてきたのを屋根の部分にしたのだが、買えばお金である。

妻はドリルや丸鋸も自分の判断で買いそろえて、それなりの出費はしながらも自分で作ることを、ことのほか楽しんでいる。

お正月のお飾りなんかも、さりげなく作って楽しんでいる。私は重いものを持ったりトンカチで打ち付けたりと、妻の手伝いをするだけなのだが それなりに実に楽しい。

妻も私も母も、お正月早々北面の家周りがすっきりと片付き、幸先良い他愛のない小さき幸福感をあじわった。

一事が万事という言葉がある。小さき感動を生む生活を持続しながら心がけるということの大切さをあらためて私は思う。

料理も掃除他、日々の暮らしの繰り返しの中でやらねばならぬあれやこれやを、いかに工夫して楽しめるか、いかんで日常生活が別の非日常的な相貌をもって立ち上がるのである。

面白いことは続く、昨日母はスーパーで買ったブロッコリー、いただいた生ラーメンほかの食材を、いつものように持参してやってきていた。

夕方、母が珍しく私が図書館で借りた、野菜の小鉢の料理の本を眺めている。このような野菜料理が食べたいという。

そこで、急きょ妻がその本に在る、ブロッコリーのピリ辛炒めを作ることにした。娘と妻がラーメンほかの夕食献立を準備をしてくれて、4人でのちょっとしたつましくもにぎやかな夕飯をおいしくいただくことができた。

夕飯だけは可能な限り、週に一,二回であれ全員で会話をしながらとるということが、いかに大切なことであるか。

母は、わずかな量だがコップ一杯のビールをおいしそうに飲む。82歳 の母の存在あればこその我が家である。結局昨夜母はてわがやにとまった。


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