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2015-12-07

Uさん、山陽カルチャーでのたった一人の生徒さんは私をびっくりさせ続ける。

今日午前中は山陽カルチャーでシェイクスピアを読むレッスンがある。講座がはじまって二年半以上が過ぎた。

生徒さんは開講以来一人である。Uさんは現在85歳、今も眼鏡をかけず作品が読める。声量は低いが、きちんと読めることに関しては私に言わせれば驚異である。

きっといつかは終わりが来るであろうこのひと時を、ことのほか私は楽しみにしている。ああ今日もUさんとシェイクスピアが読めるかと思うとうれしいのである。

Uさんは生徒一人のために、私がやってくることをことのほか申訳がないとおっしゃるが、私に言わせるとまったく逆である。この年齢でシェイクスピアを理解し、声に出せる知的感性、頭が下がる。

この講座のおかげでUさんと巡り合えたことを私は毎回のように感謝している。たった一人の生徒さんではあるが、この生徒さんはただの生徒さんではない。

そのことは、私自身が一番承知している 。実に私自身が刺激を受けて学べるのである。私の生活圏で私に刺激をくれるご年配は、母とUさんの二人である。

まったく対照的な人生を歩んだ二人の先輩ではあるが、この二人の存在は私に刺激をくれる。いわばこのように老いてゆければという、お手本としてである。

最近しゃんとしていない、ご年配の方をたたみかける。やはり生き方というものは、一朝一夕にできるものではない。日々をいかに生きるかいかんで大きく変わってくる。

二人に共通するのは、日々前向きだということである。好奇心とは高貴心であると、肝に銘じる。Uさんは、こんな本を読みましたといい、私に本を貸してくださる。
怜君のお母さんの家の前で

私も本を貸す。世代を超えて知的な遊びができる得難い方なのである。

私みたいな無知な輩がいうのはおこがましいが、この数十年岡山に来て思うことだが、本を読む人は多いとは思うが、感動するばねを持ち続けている人には、そんなにお目にかからない。

それは、私の活動範囲が狭いからだとは思うが、だからカルチャーの口座でこのような素敵に年齢を重ねている方に出会えた私は幸運だとかみしめる。

母や彼女を見ていると、運命を丸ごと受け入れ丹精に生きている。その潔さが、アンチエイジングに浮かれたり、健康食品に入れ込んだり、(過激かもしれませんが)するご年配を見ると、嫌悪感にかられああはなりたくないと思うのだ。

心身ともに健康であればいいのだが、いたずらに長生きするなどはかえって無残な気が私などは現時点ではしてしまう。短いとか、長いとかの問題ではなく、いかに生きるかの一点に人生は絞られるのだととの側に私は立ちたい。

Uさんはおっしゃる、最近のお年寄りは甘えているのではと。こんなことを63歳の私に向かってのたまう方が、たった一人の私の生徒さんなのである。つまりカッコイイのである。

一冊のシェイクスピア作品を読み終えると、次は何を読みましょう かと私に催促する情熱の根拠は奈変に在りや。

外見は、お年相応にお見受けするが、内面は生き生き、それは言葉、振る舞い、態度に表れている。

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