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2015-12-06

壁塗りをしながら家族時間を堪能しました。

昨日午前中業者の方に足場を組んでもらい、午後から日暮れまで北面の壁を塗りました。妻と相談しペイントの色を変えたので、こないだ塗ったところももう一度塗ることにしました。

柱の高いところは塗りたくても塗れなかったので、この際きちんと時間をかけて塗ることができます。素人なのでもちろんプロのようなわけにはいかないのですが、イギリス人がしつこく家のメンテナンスをする姿が焼き付いているので、その姿を見習いたく思っています。

樹の部分にペンキがつかないように、前もって新聞紙やテープで隠しをしてから塗り始めたのですが、思ったよりも塗ることができました。

このペースなら予定よりずっと早く塗り終えることが出来そうでうれしいです。自分でやるつもりはあまりなかったのですが、業者の見積もりを聞いたとたんにやる気が俄然湧き起ってきました。

何度も書いていますが、家などというものは庶民にとっては、夢のお城、家族全員が日々夜露をしのげ団欒を共にするかけがえのない根城なので、いささか古めかしくも主である私は奮闘しないわけにはゆかないのです。

男と女がうまくやってゆく秘訣は、取り立てて何もないと私は思いますが、生れ落ちた時代の多感な時期に育まれた感性に、私は殉ずるほかはないという心境に最近はなりつつあります。私は私らしく妻は妻らしく、お互いを認め尊重するのみです。

ことさら娘たちの世代に迎合したりはせず,時代のブームや流れをそっと眺めながら無理はせず、自分の好きなことや、正直にやりたいことをただひたすら、そのような五十鈴川感覚です。

ところで、まったく期待しなかったのですが娘に少し塗ってみるかと声をかけたところ、しばらくしてから足場をよじ登ってきたではありませんか。
ドレスデンの怜君のお母さんの家にて

ローラーと刷毛で塗るのですが、刷毛でコーナーを塗るのを一時間以上手伝ってくれました。

よもやまさか親子で壁塗りができるとは思いもしなかったので、良き思い出ができました。一番高いところから塗りましたから、よく上がってきました。

庭では母と妻がガーデニングをしながら、声をかけるといろいろ下手間をしてくれますから、つまりは家族全員で作業をしているわけです。

陽が落ちるのが早いので、4時半には終了。すぐにお風呂で冷えた体を温めました。母が気を使いお肉を買ってきてくれたので、6時すぎ全員で早めの愉しい焼肉夕飯となりました。

母が毎回食事の度に、幸せだと口にするのですが、幼少期の貧しき食卓や、戦後青春の苦労を経験していればこそでしょう。苦労を吉にするのが母らしい、苦労を丸ごと引き受け人をうらやまない。

母ほどではないのですが、私も幼少期貧しくはありました。でも、曾祖母含め9人、ワイワイガヤガヤ家父長の親父を中心にした、ささやかな夕餉のひと時が蘇ります。初冬の夕暮れの一人夕飯ほどわびしいものはありません。

私はやはり性格なのでしょう。にぎやかな食卓が私にはあっています。家族がいなければ、とてもではないけれど、壁を塗ったりするエネルギーは湧いてこないでしょう。

ともあれ、今日も妻や母と終日を過ごすことになりそうです。私は今日も冬空の曇り日ですが着こんで壁を塗る予定です。妻とは土日しか協働の時間が持てないので、土日はできる限りともに すごせたらと考えるのです。

夜8時過ぎ妻が母を車で送ってゆきました。可能な限り母を含めた 家族時間を大切にしたいと思わないわけにはゆきません。娘が怜君や姉にラインで知らせるとすぐに返事が届きます。

言うは易し、実行あるのみなのです。父は実行しなければまったくもって相手にしてくれないほどに厳格でした。軟派な人生を選択した私ですが、晩年はほんの少しでもと、硬派な人生に憧れますが、さてどうなるでしょうか。

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