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2014-09-08

やがて日高の姓を名乗ってくれるレイ君が帰ってきました。

虫の音を聴きながらのらの朝まだ早きブログタイム、とくに今朝は肌寒いくらいである。さっそくコーヒーを入れ、ああ秋だなあという、穏やかな気分にひたれる我が身の幸せを静かに感謝する。

明日は中秋の名月だが、昨夜も煌々とした月を二階の窓から何度も眺めた。何度も書いているが私は月がことのほか好きで、まんまるい月を眺めていると、我が身が宇宙空間に漂っているような感覚に時として襲われ、しばし人間界から、解き放たれる。

きっと、太平洋の真ん中や、数千メートルの山の頂や、どこか人間の作ったものが、見当たらないところで、中秋の名月(特に出始め)を眺めたら、きっと霊感が一段とさえわたり、私は年齢を忘れ、子供に回帰してしまうような気が、未だする。

こんなことは、この歳になると人前ではとても話せないが、ブログなら何とはなしに書けるから
ありがたい。絶えず流れ、揺れる自分の心の在り様確認の五十鈴川だよりなのだから。

ところで、今日岡山で仕事があり、もうすぐ正式に我が家族の一員になる、義理の息子のレイ君が昨日の夕方からから帰省していて、昨夜は久しぶり夕飯を共にした。

レイ君が夕食後、娘とレイ君が2010年に出会うまでの、これまでのお互いの誕生からの写真を、やく10分間に見事に編集した(時折動画もある)ものを、見せてくれた。新幹線の中で作ったとのことで、結婚式で参加してくださった方々に当日披露するそうだ。

両家の親族、友人諸氏含め60人くらいが参加し、日本からも20人以上の、レイ君と娘の日本人の友達も(二人が出会ってからできた、共通の友人、弓道の先生含め)わざわざドレスデンまで駆けつけるらしい。

まったく、どのような式になるのか、かいもく見当もつかないが、きっと温かい式になるのは間違いない。友達が多いのは、二人の人柄がそうさせるのだろう、すでに親ばかの私としては、参加してくださる方々には感謝の言葉しかない。

なにやら、我が家にとっての一大事の儀式が、10日後となった。人生まさに一寸先のことはわからない。人は出逢いで大きく人生の事ごとが決まる。特に人生の伴侶は何かのお導きのようなことがないとなかなかに、出逢えるものではない。そのように私には思える。

親としてはただひたすら、つましく人間としての法を踏まえ、穏やかな家庭を二人して築いてほしいくらいの、平凡の極みのようなことしか思い浮かばない。

レイ君は、岡山の徳山道場で、弓道を本格的に学び始め、東京でも続けながら、時折徳山道場に還ってくる。娘と出会ってから日本語も急速に進歩、日本語でメールも送ってくる。最近日本語の2級試験にも合格し、その地道で一途な生き方は、私を感動させる。

バイリンガルで、バイカルチャーな青年を娘が伴侶として選んだ未来は、未知との遭遇のおそらくは連続になるだろう、二人で生きる未知との出逢いを、苦楽を共に楽しんでほしい。我々もそれを眺めながら、老いつつ愉しく見守りたい。

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