ページ

2023-12-28

ヴィクトル・ユゴー原作レ・ミゼラブル全3巻読み終え、そして想う。

 希望は絶望的な困難の先にあるという言葉を,昨日の五十鈴川だよりに打ったが、その言葉に触発されたのだとおもうが、2日連続五十鈴川だよりを打つ。

嬉しいのは打つ時間があるということと、打ちたくなるおのれがいるということである。ラジオ深夜便で時おり過去の文学者他が残した絶望名言がオンエアーされるのを、今年からたまにだが耳にすることがある。

第一巻の背表紙

いつの時代も困難を抱えながら、窮地のなかでもがき苦しみ産み出されてきた珠玉の言葉に、私は限りなく響いてくるなにかに時おり、限りなく励まされる。文章、文言、言葉の音が、膨大な私の中の無意識領域を刺激する。

無知こそ私の原動力であることは、お恥ずかしきながら、いまもってまったく変わらない。無知を今更ながらこの年齢になってますます感じるような自覚があるのが、微かな拠り所、救いである。

今年11月韓国は釜山を20数年ぶりに旅し、わずか滞在丸3日間であったのだが、普段の生活とはまったく異なる時間を過ごすことができた。(心から出掛けてよかった。なにか無意識に突き動かされないとこういう旅はまず出来ない)

この旅で(海外旅行は10年ぶり)たまたまミュージカル、【韓国版のレ・ミゼラブル】を釜山のドリームシアターという素晴らしい大劇場で見る機会があり、エンターテイメントとしてあまりの韓国の舞台水準の高さにびっくりした。(市内中心部はすっかり洒落た大都市へと変容を遂げていて、その事は舞台芸術分野でも痛感させられた)

そのことがきっかけになって、読んだことがない長編原作がにわかに読みたくなり、遅読の私なのだが旅から戻って時間を決めて集中して読み始めたのだ。2巻まで読み終え、3巻はお正月に読もうと思っていたのだが、思わぬ早さでクリスマスイブに、読み終えてしまった。

長くなるのではしょるが、原作の小説レ・ミゼラブルと映画や舞台のレ・ミゼラブルとのあまりの相違に驚いたことは2巻を読み終えた時点で、すでに五十鈴川だよりで打った。重複は避ける。ともあれ、3巻まで全部読み終えたことで私が学べたことは、読んだものだけにもたらしてもらえる類いの、なにかおおきな実感である。舞台や映画では決して学べない異質なものである。その想いは全巻読み終えさらに強まる。

ひとつだけ記す。ジャン・バルジャンが負傷したマリウスを背負いながら人体の迷路のようなパリの地下、下水道出口を求めてさ迷いゆく描写の前に、何百年にもわたる花のパリの迷路のようにはりめぐらされている、岩盤工事の困難苦難の歴史がヴィクトル・ユゴーのペンで克明に記される。一見物語とはまったく関係がないかのようなのだが、深読みすればあるのである。

この気が遠くなるほどの、何世紀にもまたがる難工事に駆り出されたのが、囚人をはじめとする最下層のレ・ミゼラブルな人々なのである。物語の大団円、レ・ミゼラブルな困難を一身に引き受けたかのような、ジャン・バルジャンは、希望の象徴、生きるエネルギーの根源のコゼゼットへの愛(犠牲)のために(人間は愛する人が一人いれば生きるのである)コゼットの恋人負傷したマリウスを背負い、明かりのない闇の下水道を、希望の明かりを求めて超人となり、歩を進める。フィクションの白眉である。

脱出口で、物語として下水道出口で悪魔のようなテナルディエと出会う。またもやフィクションならではである。ジャン・バルジャンの崇高さの対局にあるかのような生き方のテナルディエの多面的な描きかたは、(映画や舞台はあまりにも悪の側、一面的にしか描かれていない)ジャベール警部にも通じる。ひとつだけ触れたが、複雑な糸が絡み合い、物語とは関係のないような描写がページをめくる度に随所に現れる。

とにかく時代考証背景が綿密、魅力的老若男女多彩な登場人物の描写、自然の描写もしつこく独特で、詩人的感性がときにあふれでる。私が胸打たれるのは浮浪児のガブロウシュ(プサンの舞台でも感動した)の描きかたである。(このような子供が今もガザにもいるような気がする)変幻自在にペンが進んでゆく。

善も悪も含めその人物のキャラが、存在感が際立ってくる筆力。このような小説を私はこれまで読んだことがない。ユゴーでしか書けない、と痛感する。元気なうちに手にすることができた幸運を、老人の私は噛み締めている。

結果、マリウスはコゼットと結ばれる。ジャン・バルジャンはもとの名前になり家を出る。クライマックス、マリウスがテナルディエと会い真実を知る。これ以上は記さない。老いのみに涙が出た。

話を変える。私が読んだ本は新潮社世界文学全集、翻訳者は佐藤朔、1971年に出版されている。私が19才の時の翻訳である。できればもっと大きな文字で新しい日本語での新しい感性での翻訳で読みたい箇所を読んでみたい。いずれにせよ71才もそろそろ過ぎようかという師走、読めたこと、何かのお導きと受け止めたい。老人性塞ぎの虫からの脱出口としては、最適な本、レ・ミゼラブル。タイミング、サイコーのクリスマスプレゼント🎄🎅🎁✨となった。


0 件のコメント:

コメントを投稿