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2023-12-27

【希望というのは困難の先にしかない】年の瀬その言葉を噛み締める、五十鈴川だより。

 昨日で肉体労働バイトは終えた。今日から5日間ただひたすら静かな年の瀬時間を、妻と二人ですごすつもり。打ち始めたとたん我が部屋に穏やかな冬の日差しが眩しいほどに降り注ぎ始めた。

陽光を背中に浴びながら、打てるのはありがたい。一年先がどのような出来事が起こるのかまったく予期できない時代の流れのなか、もう12年も右往左往五十鈴川だよりを打つことで、精神のバランスを取りながら、老いゆく時間と向き合いながら、今年もなんとか自分なりに、充実感をもって過ごせたことに、天に向かって感謝の気持ちである。

夕方図書館を出るとフルムーンが。

何をもってして成熟というのかは皆目未だわからないが、毎年を重ねながら初めて経験する老いゆく時間の過ごし方を、私なりにあくまでも今をいきる一人の生活者としての徒然を、どこか全身にすがりながら、いつもふうふう生きているといった塩梅、それが正直な気持ちである。

コロナ禍ウクライナで戦争が始まり、コロナが5類になりにわかに人々が移動を楽しみ始めた最中、パレスチナのガザエリアで途方もない戦争が勃発、両エリアとも今も終息の兆しも見えず、遠い異国の一老人である私も、時に塞ぎの虫になる師走である。

だが、塞ぎの虫(読んだことはないが塞ぎの虫というタイトルの小説がある)に陥ったところでなにもいいことはない。五十鈴川だよりはあくまで能天気、でくの坊、どこか馬鹿馬鹿しい、イワンのバカならぬ、五十鈴川だよりバカでありたいと想う気持ちは、古稀を過ぎ深まってきつつあり、自在に静かに、しかし時おり蟻のように生き発言したい。

それが叶わなくなったら、五十鈴川だよりを打つのは潔くあきらめ、風に吹かれる旅人になりたい、とおもう今日の私である。五十鈴川だよりを打つことで、かろうじて自分と向かい合う一時を確保し、老いの体を蛇行しながら、このままでいいのかいけないのかと、老いゆくハムレット時間を大事にしたい私である。

能天気に打つが、生活に、体に新鮮な活力を与えてくれる本というまるで魔法のような宝、読書の喜びを、69才での人生で初めての手術以後、以前にもまして感じられるようになってきた。遅読ではあるがよい本に出会うと、未だにからだが活性化する。悪い言葉、ひどい言葉に出会うと心は病む。つくづく人間は言葉でできているのだと痛感する。

ところで、昨日夕方図書館に行き、わずかな時間ではあったが、詩人の長田弘さんと今はなき河合隼雄先生の対談集を目にしたのだが、長くなるのではしょるが,その中に【希望というのは困難の先にしかない】という言葉が目の飛び込んできた。振り返ると18才で世の中に出て以来何回も分かれ道が訪れて来たのだが、あえて楽な道ではなくより困難な道を選んできた。

結果、その事がよかった。だからこそ今を生きていられる自覚がある。私との交遊が長きにわたって続いている友人知人は困難な道を選択している方がほとんどである。類は友を呼ぶというが、そういう得難い家族を含めた友人知人に巡り会え、おかげで今年もなんとかよい年の瀬時間迎えることができ、感謝するほかはない。


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