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2023-10-28

おおよそ10年ぶりくらい身近な異国、韓国へ旅することにしました。

 10月の肉体労働バイトは25日で終え、来月4日までお休みをとった。すでにお休み3日目の静かな朝を迎えている。妻が児童館に出掛け(午後3時過ぎには帰ってくる)一人静かなひととき五十鈴川だよりを打てるのが、私にとっての、ささやかな喜びである。

巨石の写真を見ていたら旅がしたくなった

秋の朝の陽光を浴びながら、穏やかによしなしごとを打てるのは、ありがたきかなという他はない。10日間もお休みをとったのは、たぶんこの4、5年では初めてである。今週は家でじっと過ごしたのち、来週月曜日から週末金曜日まで、韓国は釜山経由光州まで旅をすることになっている。

40代から50代にかけて、ソウル中心に何度も韓国には足を運んでいるが、この10年は行っていないので、きっと浦島太郎的な気分に陥ることになるのではという気もどこかでするのだが、幸いなことに妻にお伺いをたてたところ、すんなりとお許しが出たのである。

その上、予約他デジタル音痴(この際返上し学ぼうという気になっている)の私の指南役を務めてくれ、安心してゆける。50代までは思い立ったら、ほとんどなにも考えず出掛けていたが、さすがに古希を過ぎ無謀なことはしなくなってきた。老いの功徳は至るところで私に変容を迫る。その事を私は努めて冷厳に受け止めながら、老いを見つめる新たな旅を見つけられればと、どこか風任せに構えている。

とはいえ、何せ随分と近いとはいえ、外国にゆくのだから私にしては用意周到にと、今日は旅の準備をするつもりである。昔に比べたら比較しようもないほどに、静かな生活が板についたかのような塩梅だが、やはり未だ旅心がうずくのは、きっともって生まれたカルマのようなものだろうと、自覚している。

どんなに好きなこともやがてはできなくなるのだから、動けるうちに、行きたいと思ううちに実践したい。ただそれだけである。理由は要らない。行きたい。行けるということが自由ということである。いつもとは異なる環境に身を置くことできっと新鮮な風が体に入る。未知の風景、未知の人に会う。その事を大事にしたい。

金銭的にも身の丈に合う生活、身の丈に合う旅を若いときから続けてきたので、そのスタンスはまったく変わらない。

静かな生活と、時おりの異国への旅。先のことはわからないにもせよ、健康で動けるうちは、続けたいという欲求は健在である。旅と読書の非日常体験と、静かな日常生活、この2極を往還する70代を送りたく思う。そのために日々しっかり生活したい。

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