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2020-11-07

小松由佳著、【人間の土地へ】素晴らしい本に出合いました。

 早立冬である。先ほど外に出たら路面が濡れていて小雨である。季節はあっという間に移ろい、あの暑い夏のこともにわかには信じられないくらい忘れて、ストーブなどの準備をしなくてはならない。

思うに人間には忘れていいことと、けっしてわすれてはならないことがあるし、また個人的な体験、どうしても忘れられないことがある(でできている)と、私は想っている。

五十鈴川だよりは、その五十鈴川がながれる河口の小さな田舎の町に生を受けた、はなはだ個人的なその土地の記憶が、今も鮮明に私の脳裡の奥深くに色濃く眠っていて、老いが進むほどにその記憶は、つらかった記憶も含め、今となっては黄金の記憶のように思えるのである。

ヒトは人生という一回限りの旅を、物語るかのように生きる器である、という気がしてならない。自己分析の持ち合わせがなく、ほとんど成り行きでこの年齢まで何とか生き延びていられる現在を振り返ると、前回の五十鈴川だよりでも書いたが、運に恵まれたというしかない。

今年も残り2か月を切ったわけだが、良し悪しではなくコロナ渦中生活のおかげで、自己との対話、内省的な時間がたっぷりととれたおかげで、コロナが終息を(むかえてほしい)迎えたら、以前にもまして静かな初老凡夫平凡生活を送りたいという気持ちが強くなっている。

アメリカ大統領選挙の行く末、日本学術会議への権力の介入、一見国民のためという装いで、まったく説明責任を果たさない(果たせない)鉄面皮のような新首相(まったく前任者の悪しき所を踏襲している)のらりくらり答弁には、うすら寒いこの国の行く末が、不気味に横たわっているいるような、想像だにしたくない未来が待っている気がしてならない、そのことはごまめの歯ぎしり、初老凡夫五十鈴川だよりにきちんと書いておきたい。 

このようなことを書き始めたら、歳を忘れて怒りがいまだ体に渦巻くが、長いものには巻かれろ、力の強いものにはこびへつらい、弱いものには居丈高になるといった輩とは、一線を画す五十鈴川だよりでありたい。

さて、いきなり話を変える。コロナ渦中生活7カ月、この間本当に良き本に多々私は出会っている。山藤章二さんに続いて、小松由佳著【人間の土地へ】をゆっくりゆっくりと読み進み、読み終えた。また世界を変えてゆく一人の若い日本女性のすばらしいというしかない本に巡り合った。

長くなるし、時間の都合で簡単に記す。五十鈴川だよりを読んでくださっておられる方、検索して、心が動いたら本を買ってお読みください。お薦めします。シリアの砂漠のラクダと共に生きてきた民の末裔と、縁あって結婚し(現在お二人の男の子供を授かっている)た日本女性のノンフィクション。

なんとその女性は、日本人初の知る人ぞ知るヒマラヤの最高峰K2に登頂を果たした【小松由佳】さん。波乱万丈という言葉しかない真摯な生き方、歩み方に思わず涙した。

悲惨極まりないこの10年間に及ぶシリアの戦争(内戦ではない)状況を、一日本人女性が命がけでリポートしている、地に足が付いた視点から。国家とは、民族とは、家族とは、友人とは、勇気とは、男女とは、自分とは、命とは、豊かさとは、幸福とは・・・・・。

人間の土地へ、母なる大地のような著者の生き方、命がけの選択に深く深く初老昭和男は打たれた。良き本は勇気をもたらす。中村哲先生の御本もそうだが闇夜を照らす明かりのような本に私はであった。是非著者にあってみたい。

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