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2020-11-03

月のエネルギーを浴び、朝日のエネルギーを浴び五十鈴川だよりを綴る。

朝湯を浴び、五十鈴川だよりに向かう。窓からは西の空にまだまあるい残月がのぞめる。月を望めてちょっぴりと幸せな気分になれる私は、現代人としては単細胞に極まる初老凡夫である、と自覚している。

老いと共に、はなはだ始末に終えない頑固な単細胞人間化してゆく我が身をどこかに感じている。亡き父もはなはだ頑固で、老いては子に従わないなどとのたまっていた。血なのである。

晩年父は人との交わりは極端に減らし(父は情が濃く寂しがり屋でヒト好きであった)囲碁三昧に終始し、旅といえばいつも傍らに亡き母を同行した。母が先に行くと一気に老いが進み後を追うように逝ってしまった。

父は83歳まで生きて旅立ったが、意識は最後までかなりしっかりしていたと兄や姉はそばにいなかった私に、のちに語ってくれた。

さて、父が旅立った年齢まで私が生きるとすると、(生きたとすると)私の人生時間は残り15年ということになる。このコロナ渦中の7カ月、降ってわいたように静かに考える時間が増えたことで、(今も考え続けているが) いよいよもってこれからをいかに生きてゆくのかという問いをいやでも自らに問わずにはいられない、いろんな自分の中の一人がいる。

朝からこんなことを書くと、何やら意味深であるが、本人は18歳から世の中に出て、まるで本能のままに動物的な感覚で、何とか世の中、世間と折り合いをつけて生きられた50年をおもうと、運にすくわれたという思いしかない。若いころから影響多々の五木寛之さんに習えば、他力本願で生きてきた私である。

だから三つ子の魂百までという性をおそらく最後まで引きずりながら、往生悪く往生できたら、それでいい。なるようになるといった心境、可能な限り無理を承知で、老いと向かい合いたいという気持ちが、降ってわいた静かなコロナ渦中生活で 芽生えつつある。

61歳で始めたシェイクスピア遊声塾、65歳で始めた弓との出会い。コロナのために、いまだ遊声塾は休塾しているが、弓のほうは無言で稽古ができるので、遊声塾に費やしていた時間をほとんど弓についやしている、そのおかげで私のコロナ渦中生活の心身の、さやけき健康が保たれているといっても過言ではない。

昨日雨で山藤章二さんの【自分史ときどき昭和史】をほぼ読み終えた。昭和男の面目約如ぐいぐい引きこまれ、段違いの才能というしかないが、書かれた時が77歳、記憶力、文筆力、ユーモア、冷静さ、諧謔性、戯作力、落語に関しての博覧強記、ラジオで鍛えられた耳のよさ。それらが怜悧な脳に詰め込まれていて、独創的な絵師が生まれたのがよくわかる自伝。

感動した。読むのに忙しく(私は読むのが遅い、読んでいるとあらぬことを想像し、考えてしまうのだ)五十鈴川だよりにには読んだ本のことをほとんど書いていないが、これからは可能な限り書こうと、(少ない読書量だが)思っている。

このコロナ渦中の読書、あらためてこの歳で本と真摯に向かい合う読書体験をしている。自分のこれまでの偏った読書、物の見方考え生き方というものを見直すまたとない時間をコロナ渦中生活は私にもたらしている。

単細胞人間の私は感動すると勇気が湧いてくる。18歳から半世紀、やけのやんぱち思い付いたことにすがり、負をエネルギーに、コンプレックスを我流でいいように解釈し乗り切ってきたが、今後もこれを踏襲し、反省し振り返り、わが立っている足元生活を固めたいと、踏みしめたいと念う。

 

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