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2020-07-14

7月も半ば、雨音を聴きながら初老凡夫は考え想う。

目が覚めてしばらくたつが、依然として昨夜からの雨音が聞こえている。すぐそばの砂川が限界水位を超えたら、確実に我が家も水害に襲われる。そのようなことをいやでも考えてしまう、この数年来続く梅雨の時期の水害報道には、ある種の不条理と、虚無感が漂う。

いやでも、そしてかなり思考停止気味の初老凡夫の私でさえ、コロナ騒ぎの渦中でのこの被災のメディア報道の映像には、あらためて自然の猛威、天変地異の容赦のない力には、言葉を失う。だから、あだやおろそかな言は慎む。
抜群に面白く勇気づけられた

言葉では何とでもいえる。運命はかくも非情であることを眼前にこうも赤裸々に露呈されると、そんな目に遭うこともなく、日々を送れることの有難さに、ただただ思いをいたすのみである。

わが心のふるさとを流れる、五十鈴川もかなりの増水ときく。九州全土をおおうかのようなこの度の大水害、いつ何時兄や姉の住む小さな田舎町も水害災害に遭うやもしれない。まさに他人事ではない。

そのような中、コロナウイルスはこの暑い季節でも、まったく衰える気配が見えない。あらためて予断油断を怠ってはならない状況が、今しばらく続くことを覚悟しなければならない。

ワクチンの開発他、安全な普段の生活の 指針が示されない限り、自分の命は自分で守るくらいのある種の覚悟を持たないと、と自分で自分に言い聞かせている。あらためて侮れないこのウイルスの怖さを感じる。

が、かといってこの緊急事態のさなか、善良な市民生活の弱みに付け込んでの悪徳商法や、政治家のが繰り出す巧妙な法案提出などについては、注意深く目を光らせていないと、思考停止のつけが、いずれまた国民の上に降り注ぐのは、歴史が証明している。

姑息な検察庁長官の定年延長法案に対して、瞬時に数百万の人々がSNSで異議を唱えたのはもろ刃の刃だが、素晴らしい方に使えてこそ意義がある。(姑息な匿名の誹謗中傷などはもってのほか、コトバは凶器であり、ヒトを狂気に導く、これももろ刃だ)危機のさなかにこそ、落ち着いた生活をと、これは自分に言い聞かせる。話を変える。


地を這う本物の作家の仕事を教えられた
人間だから心は揺れるのであるが、この4カ月間、私の生活の中で精神を前向きにニュートラルに するのに効果があるのは、好きな文章ほかの音読、弓の巻き藁稽古、好きな本を読むこと、体を動かして自然の中で働くこと、ほかにも あるが割愛する。

要はオンラインであれリアルであれ、現在の自分の生活の中で、身体が喜ぶいちばん気持ちのいいことを 優先的に一日の生活を組み立てて過ごすということである。もう何度もくどいほど書いているが、できるだけ物やお金に頼らない自分の体に頼る初老凡夫生活をしなければ、足元からコロナウイルに引き抜かれてしまう危うい生活になりかねない。

ゆめゆめ油断大敵である。雨が降ったら傘を差し、強風の時はじっとやり過ごして過ごし👍耐えるしかない。肝心なことは楽しく耐えることである。些細な喜びを見つけ生きることである。

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