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2020-04-26

こういう時はただじっと天を仰いで、大地を眺めて過ごす。

珍しく兄からメールが届いて、著名人の死にショックを受けた内容がつづられていた。私から兄にメールを送ることはあっても、兄の方からのメールは、たまさかのことなので、珍しく私もちょっと長めのメールを返信した。

先週18日以来なので、ほぼ一週間ぶりの五十鈴川だよりである。誤解なきように書くが、私自身の日々の暮らしは、毎週7年間以上続けていた、シェイクスピア遊声塾のレッスンに、夜出かけなくなったくらいで、生活にはさほどの大きな変化も支障も今のところはない。有難いというほかない。

が、都市部や盛り場観光地ほか、ヒトの気配が消えたかのような映像を見ると、いかにこの新型ウイルスが多面的に経済他社会的に影響を与えているか、心理的に不穏な圧迫、予測の立たない状況下に、日本列島、世界各地の人々が置かされているのかが、身につまされる。

きっと私のような、凡夫の想像力を凌駕するような事態が、頻発していることは想像に余りある。だからといって、何ができるのか、何をしたらいいのかは、悲しいほど各々で考え耐えるしかない。
あまりにも赤裸々な人生が豪放磊落に綴られていて打たれた

NHKのメインのニュースなどはほとんど見ないが、珍しく東北原発事故津波災害以来、私にしては珍しくインターネット上での様々な情報を、たまにだが開いている。まさに時間がいくらあっても足りないほどに、情報があふれかえっている。

こういう時にこそ、自分の体で物事を冷静沈着に考える力のようなことが試される。インターネットのおかげで、明るくなる話題や勇気をいただける個人発信の人間力あふれる方々の、多数の存在を知ることができるのは、デジタル時代の良き面であるとは想う。

私のような時代に即応できかねる、ついてゆく気のない初老男にとっても、表裏があっても良き面をあらためて、認識しなおしている。要は情報をかみ砕く己の良識次第である。

さて、見通しの立たない日々だが時間は過ぎゆく。日々人は亡くなり、新しい生命はこの渦中でも生まれてくる。どのような悲惨な歴史も、人類は破滅せず何とかしのいできた歴史を、遅まきながら改めて知る時間に充てている。

私の個人史の時間の中でも、東北の原発事故以来の大事件になりそうなパニック化もやぶさかではないコロナウイルスの猛威が、終息するのを祈るしかない。やがてこのコロナウイルス終息後の世界が、どうなるのか、ならないのか、私が元気であれば、是非見届けたいところである。

根本的なパラダイムシフトの変換が、起きてゆく方にじんるいの英知の結集を初老凡夫と しては、願わずにはいられない。

東京一極集中のみならず、大きな都市に人間が過密に暮らす街づくりを根本から見直さないと、ウイルス感染は今後もたびたび猛威を繰り返すのではとの杞憂である。私の生まれた五十鈴川の流れる小さな町には今のところ、まだ一人もコロナの感染者が出ていない。

限界集落に近い姉兄たちの暮らす小さい街と、 テクノポリスとの感染者のあまりの格差は何を暗示しているのか、凡夫の私でさえ恐怖を覚える未来図、考えたくはない。私は限界集落で、金に振り回されず、五十鈴川を眺めて魚釣りでもして、焚火などしながら暮らしたい。

遺伝子の組み換えはじめ、優性思想、俗に世の中を支配しようとする側の人間たちは、人間には制御しえない世界が、宇宙の摂理、神の領域があることに鈍感である、とおもわざるを 得ない。

コロナ新型ウイルスの不気味さは、人間の存在の在り方を直撃しているかのように、私には思える。でくの坊という存在に初老凡夫は限りなく憧れる。



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