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2020-03-06

コロナウイルスの新型肺炎に委縮しない、初老ライフをいかに生きるか思考する。

このところの五十鈴川だよりはもう限りなく、わがままあるがまま、もっと書くなら自由自在レットイットビー、人生の旬の季節はとうに過ぎ、はじめて経験する、老いゆく未知のゾーンにいよいよ入ってきたのだという実感がある。だが、これからをこそ面白がりたい、いろんなしがらみを超え、身体が動かなくなる前の、老いゆく時間をこそ楽しみたいと私は考えている。

子供たちが自立し、孫にも恵まれ、夫婦二人の静かな暮らし。でも今の私にはこれが実にうれしくもありがたい。世の中はコロナウイルスの新型肺炎の話題で、引きも切らない大騒ぎの体をなしているかの感が否めないが、私自身の暮らしはまことに持って申し訳ない程度に、穏やかで充実したつましい生活である。

何より、コロナウイルスの新型肺炎の渦中なので、レッスン日以外はアルバイト肉体訓練に出掛けるのと、散歩と買い物に出かけるくらいなので、以前にもまして静かで落ち着いた暮らしが送れているのだ。

絶対矛盾を生きながらも、できる限りネガティブにならず、可能な限りのささやかなポジティブさを持続するためにも、沈思黙考ライフを自分に課している、そんな趣の生活を意識的に実践している。

夢が原で草刈り機とチェーンソーは 使ったことがあり、トンカチ、スコップ、のこぎりなどの手動工具も、富良野塾でいやというほど使った経験があるが、それ以外の耕運機や工具は、ほとんど使ったことがなかったので、この一年半随分とそれらの、工具や機械とと共に時間を過ごしているのだが、やる行為動作によって道具や機械が変わると、必然的に脳の指令を出す部位が、前頭葉や海馬などと違っているのだという気がする。

コロナウイルスの新型肺炎のおかげで静かに本を読む時間が増えた
物を書くとき、パソコンに向かう時、声を出すとき、弓をひくとき、本を読むとき、散歩をするときと、草を刈っているとき、クローバーの根を採っているとき、料理をしているとき、掃除をしているとき、使っている脳の部位はおそらく違うのではないかと、想える。

だからなのだ、私が体動かしの仕事にことのほか執着するのは。インドアとアウトドアとの往復が私にとっての健康体を維持するのに欠かせないのは。

確かに寒い日も暑い日も、ひ弱な現代人の初老男の私にとっては大変な日もある。だがそんなことは先人たちのあまたの困難苦労を想像すると、なんでもないといえるくらいのちっぽけな可愛いものだ 。

健康の有難さ、存在していることの有難さを、こころから知覚っているものは救われるような気が最近とてもする。さあ今日も体動かしアルバイトに出掛け一日が始まる。

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