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2020-03-25

コロナウイルスの広がる中、昨日【ベルの音が聞こえる】という自主映画の完成試写会に行きました、そして想う。

当然のことと予想していたが五輪は延期となったが、そのことについて書く気はない。

一昨日の夜遅く東京から帰り、昨日は、わずかのシーンだがボランティアで演じてとして参加した、市民手作り映画の試写会(ハンセン病にかかって強制隔離された、長島愛生園の中にかってあった高校生の苦難の青春を描いている)がない内で行われ見てきた。

私を含めてほとんどが素人での限られた予算、時間の中で、調整 撮られた自主映画だが、それなりに編集されていて、参加してよかったと思う仕上がりになっていてほっとした。

早くコロナウイルスが終息して 公に試写会ができることを願わずにはいられない。昨年夏の暑い時期、3回終日ロケに参加しただけではあるが、映画の面白さというものをこの歳で再確認した。しゃべっている自分を客観的にみることが、何故かわからないが、気恥ずかしくも、どこか他人を見るかのように見ている自分がいた。

高校生を演じている普通の人たちの演技が自然で、プロとは違う魅力があって、好感をもって 見ることができた。ともあれDVDとして記録に残るフィルムに出演できたことで、自分にしかわからない経験したことのないささやかな喜びが持てた。いずれのせよ、近所のHさんとのご縁でオーディションを薦められなかったら、出演の機会はなかったであろうから、縁の有難さに昨日は素直に感謝した。68歳のおじじの良き思い出を孫に残すことができたこと、それが一番うれしい。

(撮影の日のことは、五十鈴川だよりに書いていると思うので、読んでもらえると嬉しい)集団で力を合わせ何かを作ることは大変だが、経験した者でないと分からない共通体験の喜びが共有できるので、きっと病みつきになるのだろう。初老男ではあるが、若いころ演劇をまなび、演じ他人になり変わるという不思議世界の虚構の真実に、何か再び火が尽きそうな予感がある。
二歳の望晃(のあ)くんに読み聞かせする妻

話は変わる。世界はパンデミックなコロナウイルスの感染の広がりで、メディア報道の大部分はまるでジャックされたかのようだが、私としてはできる限り浮き足立たないように、静かに落ち着いた暮らしをしたいのであるが、こればかりは感染の予期しえない広がり方、爆発で、人心がとんでもない方向に揺れないように祈らずにはいられない。

それにしても、このようなコロナウイルスの広がりと危険性を年明け早々から、だれが 予想しえたであろうか。まさに世界は予期しえない出来事に翻弄されるというほかない。だが、できる限り右往左往しつつも、右往左往はしたくない。じっと揺るがない大木にあやかりたい。

悲観的にばかりなっていたのでは、物事は好転しない。ピンチのこういう時にこそ自分が試される。静かに花を眺め春の息吹生命力にあやかる冷静さが必要な私だ。

今日は遊声塾のレッスンの日だが、私自身もコロナウイルスの広がりにどこか心理的に脅かされるのが自然である。がしかし、いたずらにおびえてもなるようにしかならないという、諦念に近いものが私の中にないといったら、嘘になる。これ以上は書かないが、どこか私は声を出すことで、免疫を上げコロナウイルスを防ぎたいと念っている。

コロナウイルスの広がりを防ぐ特効薬のようなものがない現状では、いたずらにおびえて過ごすよりは、一人でも声を出したりしていたいのである。悲観的なネガティブ思考に陥らないためにも、私はひとり自分を鼓舞する。家族のためにも。


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