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2018-02-12

畏怖するお仕事継続された石牟礼道子さんがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。

わずかしか読んだことがないのに、石牟礼道子という名前の作家の存在を、どこか遠いところから畏怖していたが、その誰もがなしえぬすごいお仕事をされた方が2月10日にお亡くなりになった。

自分がこの年齢に達して、初めてようやく読む気になってきつつあるほどに、時代の趨勢に流されない、石牟礼道子さんにしかなしえない地の底からの、寄る辺なき民の声を、文学詩人としてなした、お仕事の素晴らしさには言葉がない。

時代にあらがい、真の意味で声なき民の声を救いあげ、聴きとり寄り添い、その闇に埋もれてゆきそうな水俣の民の消えゆく言葉を 、文学の言葉として昇華、普遍化したお仕事は、これから時代が混迷を深めれば深めるほど、闇の中で光り輝くに違いない。

その遺された石牟礼文学の言葉の光を、ようやくこの年にして浴びたいと心から感じ始めている情けない私である。
池澤夏樹さんの解説が素晴らしい

考えてみると、高校を卒業後の1970年、18歳、田舎者無知丸出しの私は上京後、大都会で時代の渦の中、その片隅で世間の風を浴びながら弱者の側に否応なく投げ込まれ(自分でそういう人生を選択した)ながら、なんとか生き延びて(きた)こられたいう認識が、かすかに在る。

だが石牟礼道子さんが救い上げた声なき民の声は、まったく次元が違う。否応なく不条理というしかない状況を生きざるを得ない、真の意味での弱者の声である。

現代の社会状況の中で、このような権力や強者の論理に惑わされない優しいというしかない言葉を持たない民の声を代理する、何より人間として思い至れる、菩薩のような魂を持った文学者の 存在は希望の光、稀有である。

いよいよの晩年時間、私は石牟礼道子文学の言葉を折々あび、社会的不条理の側の民の声に一庶民として耳を澄ませたい。

こころからご冥福を祈る。

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