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2018-02-13

2月12日、詩人として人間として、畏怖するほどに敬服する活動をされている、アーサービナードさんのお話を聞きました。

2月12日、妻が、たまたま福山でアーサービナードさんの講演会があるとの情報を得て、昨日妻と85歳の母と3人でお話を聞きに出かけた。

午後2時過ぎから、2時間半アーサービナードさんは、立ったまま休憩なくお話をされた。講演タイトルは、最新刊のビナードさんの本、【知らなかった僕らの戦争】平和って無知のままいること?である。
これからはビナードさんの本もシェイクスピアのように声に出して読みたい

そのお話の内容は、研ぎ澄まされた日本語と英語の両方を、自在に行き来できる感性というか、持ち主にして初めてなしうるのではないかというほどに、ビナードさんが独自に見つけた、詩人感覚というしかない言葉への探求心、好奇心があればこそのスリリングで初めて聴くお話満載で、驚き聞き入った。

ビナードさんはまるで名探偵コナンのように、言葉を手掛かりに3月10日の東京大空襲、8月6日の広島 、8月9日の長崎の原爆投下投下の真実について、またそれに先立って、ニューウメキシコで行われた人類初めての原爆実験、長崎以後にもマーシャル諸島(穏やかに人々が自給自足で暮らす夢のように美しい島で)のビキニ岩礁で行われた核爆発実験の真実を、ときおりユーモアを交えて、まるで司祭のように語り続けた。

自分が知らないお話の連続というか、私自身の無知があぶりだされてゆく2時間半のお話だった。

アメリカで市販されているATOMIC・FIREBALL・CANDY

私がアーサービナードさんに関心を持ったのは、2013年だったと思う。東京の都立第五福竜丸展示館に出掛けた際、そこで【ここが家だ】・ベンシャーンの第五福竜丸・という絵本を求めた時である。

絵本によれば、第五福竜丸はビキニ環礁の近くではえ縄漁をしていた。3月1日の夜明け前、西の空が真っ赤に染まる、乗組員23人はアメリカの水爆実験(広島の1000倍の威力がある)で被爆、命からがら2週間かけて静岡の焼津に 戻る。その年の9月23日、無線長の久保山愛吉さんはなくなった。

驚かされるのは、アメリカ人のベンシャーンが(日本に原爆を投下した側の)画家として最後の連作で、第五福竜丸の船長であった久保山愛吉さんを主人公にして描いているが【ベンシャーンはこう語っている、放射能で死亡した無線長は、あなたや私と同じ、ひとりの人間だった】という人類愛に根差した、平和的当たり前普通の人間の価値観でもって、核の不条理というしかない恐ろしさ、不気味さを、石の線でもって刻み、表現、告発し普遍的に芸術作品として昇華していることである。だから胸を撃たれる。

 絵本の構成文と、ベンシャーンについて書いておられたのが、これまたアメリカ人のアーサービナードさんだったことの驚き、ビナードさんの言葉【石に刻む線】、私はベンシャーンという芸術家の存在をビナードさんを通じて初めてこの絵本で知った。

また、絵と文章によるアートの力で、核の恐ろしさを、絵本の力でこのときはじめて知った。

私は、何としてもこの絵本にビナードさんのサインがほしかった。少し早めに会場に入ると、ビナードさんは会場の一角に座って待機しておられたので、すぐにビナードさんのところにゆき絵本に サインしてほしいとお願いした。

疲れているご様子であったが、気持ちよくサインしてくださった。驚いたのは、漢字も実に堪能で、日高のたかは、はしご高ですか?と訊かれたことである。

会場ではビナードさん関連の著書が販売されていたので、もうすぐ出産予定の長女へのプレゼントに、二冊の絵本(みんなみんないただきますとさがしています)、妻へのプレゼントに(もしも詩があったら)求め、講演会を終えてからすべての本にサインをいただいた。

ところで、今日は私の生誕日だ、昨日は65歳最後の日だった。私が最初に求めた【ここが家だ ・ベンシャーンの第五福竜丸】2006年の9月30日が初版、私が求めた本の奥付は、2012年の2月13日、第10ずり発行である。今日はビナードさんの本を静かに読んで過ごそうと思う。




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