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2018-01-10

今年から、書斎で自由時間を過ごすことにしました。

1月10日、今夜からシェイクスピア遊声塾のレッスンが始まる。昨年は毎週リア王を読み続け、今年もまだ未定ではあるが、発表会までリア王を読み続けることになる。

発表会では私がリアを読むことになるので、80歳にしてなお過激なリアの内面の、過剰な心理的な襞に少しでも迫るべく、水曜日は私なりにスイッチを切り替えてリアに迫りたいと思っている。

それにしても、リア王という作品は、多面的な人間の不条理というしかない存在、空恐ろしき作品であるとの認識が深まる。言葉の劇詩人シェイクスピアの最高傑作といわれるゆえんが繰り返し声を出して読むと一段とわかる。

とても400年前に書かれた作品とは思えぬほどに、現代にも十分に光り輝く作品に思える。ともあれ声が出るうちに、リアの老いの身に突ぜん起こったあまりの劇的変化の苦悩を少しでも表現したく、テキストを繰り返し読むしか私には方法がない。

さて、話題を変えて私が本好きになったのは、20代の半ばを過ぎるころからで、それまでは本当に本を読む時間が少ない暮らしで(生活に追われて)どちらかといえばあまり本好きとは言えなかった(時代に流されていた)のだが、本格的に本を読み始めたのは、手放せなくなったのは、40歳からの西大寺から新倉敷の往復通勤時間、そして中世夢が原を退職してからだろうと思う。

今年最初に書店でたまたま買った本
最近は、本が本を呼ぶというような感じで、年明けからいい本に巡り合っている、健康に本が読めることの有難さが沁みる。五十鈴川だよりを書き始めてから、私が読んだ本を随分アップしたが、今年も折々アップしたいと思っている。

本は思考力の糧、古典、今日出版された本問わず、有限なる人生を、限りなく豊かにしてくれる唯一確実に確かな ものが本である。

ということで、長いことあまり立ち入らなかった書斎を、昨年暮れから居心地よくすべくいろんな過去のもろもろと決別、処分、どうしても捨てられないものだけを遺したら、かなりすっきりとして、今年から五十鈴川だよりもこの書斎で書いている。

一生活 者の書斎であるが、ささやかにこれまでの人生で出会ってきた本が、思い出が詰まった、今後自由時間の大部を過ごすことになるであろう部屋を、居心地よくするためにも、この部屋での過ごし方を(家での時間を)大事にしたいと考えている。





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