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2017-12-30

年の瀬29日(30日だが)の真夜中に思う。

28日から娘とレイさんが帰ってきてから、我が家は一斉ににぎやかになり今夜から(いますでに30日だが)母も我が家にお正月帰りしている。

Sという造園業や剪定作業を中心に行っている会社で、8月28日から、基本的に週に3日ほど働いているが、今週だけは初めて五日働いて、昨日午前中が仕事納めだった。

年齢も省みず始めたこの仕事、とにかく3ヶ月は続けてみようとの思いだったが、何とか4か月は持続できた。我ながら良くやったとの思いだが、油断は禁物の感覚は、仕事を続けられる間はなくしたくはない。

おかげさまで体が動いてくれているので、何とか続けられている。体がもつかどうか不安だったが、週に3日であれば、持続可能、何とかやれるのではないかとの、自信のようなものが生まれつつある、有難い。
お二人の対談には刺激を受けた

幼少期は虚弱体質、身体がそんなに強いわけではなく、肉体労働には限りなく弱いコンプレックスを持ち続けてきた私だが、青春の終わりを富良野塾で鍛えられ、夢が原でも野外作業でずいぶんと足腰を鍛えら、そのおかげでの、いまかろうじてこの仕事がやれる果報を有難く受け止めている。

ともあれひと月でも長く、自分に負荷を与えながらの、肉体労働を続けたいとの念いが深まる。その中で何か新しい感覚が、晩年時間に見つけられたらとの、淡い思いが、幻想であってもいまだ私にはあるのだ。

守りに入るのではなく、今しばらく新しき世界(人や樹木との)での出会い時間を生きなおすことで、攻める感覚を、足腰をただただ動かしたいのである。

介護施設での仕事のお誘いもあったのだが、私としては、私よりも若い方たちとの一緒の肉体労働をすることの中で、過ごす時間を選択した次第。

いつまでやれるかは神のみぞ知る、悔いなく体を動かし続けたい、そんな私を妻や母や、家族全員が応援してくれている。

軟弱な私は、きっと家族の存在なくしては、この仕事は続けられない。

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