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2016-09-05

雨音を聞きながら、昨日のミルフォード・グレイヴズと土取利行さんのパーカッションデュオの余韻に浸る。


私は、昨日京都ロームシアター(平安神宮のそばに在る素敵な劇場で岡崎音楽祭でのパフォーマンス)までミルフォード・グレイヴズ(先生)と土取利行さんのパーカッションデュオを聴きに日帰りで出かけました。

素晴らしいというしかない、ほかに言葉が見つからない、どんな形容をもってしても私の拙文ではその感動を伝えることは叶わぬにせよ何かを五十鈴川だよりに書いておかねばという気持ちです 。

くどくど書くことは控えます。このお二人に関しては、興味にある方はインターネットで是非検索してみてください。

私は土取さんとミルフォード氏のデュオパフォーマンスをこれまでに二度ほど見たことがあり(いずれも岡山に移住する前東京で)今回が3度目の機会を持てたわが人生の、まさにその場に居合わせることができた幸福感、運命に何かに手を合わせた。

現在土取さん66歳、ミルフォード(呼び捨てするのが忍びない) が76歳での、40年以上の交流のお二人の、いわば人生の総決算ともいえるパーカッションデュオ。

まさに奇蹟のデュオに私は立ちあうことができた。その喜びは今この拙文を書きながら、64歳のわが体に、今も昨日の余韻が響いている、二人の何かを超越したかのようなあまりにも自然な友情の織り成す美しいというしかないパーカッションデュオは、昨日その場に居合わせた聴衆の心を激しく揺さぶった。(聴衆のほとんどがスタンディングで二人をたたえた)

おそらく京都の若い世代の聴衆は 、きっと初めて伝説のミルフォードのドラミングを目の当たりにしたのではないだろうか。(歴史の宝庫の京都でのこの公演はきっと語り継がれるだろう)

いずれにせよ、年齢的に若くはないはずのお二人のあまりの若々しきドラミングというか、その多種多様なパーカッションの豊饒世界には、何度もため息とともに度胆をを抜かれてしまった。

老いてなお華やぐ境地の二人のパーカッショ二スト、伝説のミルフォードグレイブスのめったにはみる、聴くことがかなわぬ存在を数十年ぶりにしかと眼底に焼き付けた。

まさに、世阿弥がいうところの枯淡の芸というしかない 老いた豊かさ華やぎが全身から音となって立ち上り舞うよう(実際二人は声を出し歌い踊る、つまり全身パーカッション二ストなのだ)にロームシアターに響いた。

純粋な紛れもない本物のその道を究めた演者のなせる業、至高のポリフォニックな強弱繊細極まる音の豊かさはたとえようもない、この澱んだ出口無きかの様に思える 闇の世界を、夢幻の閃光のように刺し貫いた。

このようなパフォーマンスに立ち会えた私は、もうしばらくは何も見たり聞いたりしなくても、十分なほどに、すごいエネルギーをお二人からいただいた。

現代のわれわれの暮らしの中には、電子音はじめあらゆる音の洪水で満ち満ちているが 、こころから全身を幸福感に導いてくれるような音は(言葉も同じだが)そうはめったに立ち会えない。

音に射し貫かれたわが体は、夏の疲れもどこへやら、またしばらくは静かに充実した生活が送れそうである。それにしてもミルフォード・グレイヴズカッコよかった(千両役者である)。

最後に、ロンドンで26歳の時土取利行さんに出会えたことの運命を、今更ながらに感謝した。

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