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2016-09-23

秋の夜中、栄転された遊声塾生I氏とは、何とかレッスンを継続したいと考える私。

本当に久しぶりの五十鈴川だよりです。こんなに長いこと書かないと開いて読んでくれる人がいなくなるかもしれませんが、我ながらぶきっちょな性格はいかんともしがたし、です。

実は今年の春に本にするためのインタビューを受けた、のですが、この10日間、テープのおしゃべりのあら原稿が上がってきたので、しゃべった即興的なわかりにくいわが言葉を、しゃべった本人が分かりやすく再び書き起こすという、まったくやったことがないことを10月中に何とか仕上げたく、奮闘しているのです。

これも修行だと考え、苦楽時間を過ごしているのです。過去を思い出しながらの作業なので時間がかかるのです。この調子だと原稿用紙120枚くらいになりそうですが、片をつけたいと思っています。

その合間に、いろいろとやらねばならぬことがあり、不器用な私はしばしブログを書く気がまったく起きなかったのですが、何とか少し目鼻が見えてきたので、気分転換に書いています。

台風が相次いでやってくる今年の日本列島、先日の台風ではわが故郷の五十鈴川もあわや氾濫というというところまで水かさが増しました。幸い事なきを得ましたが。

姉や兄にすぐ連絡を入れました、大事には至らなかったということで安心しましたが、こうも地震や災害が続くと、人心に多大な影響が及びます。

ただただ、命があり健康に日々が送れることの、平凡な日々がなんと在り難いことであるかと、小生のような能天気ぼくねんじんは、身の丈に合う穏やかな生活を、身近な方たちとの関係性を大切にしたいと思わずにはいられない。

さて、そのような暮らしの中で、 シェイクスピア遊声塾は毎週水曜日の9月から本格的に少数の塾生と共に、熱い声出し時間を続け、翌木曜日の夜も山陽カルチャーでも二人の生徒さんといい時間を過ごさせていただいています。

昼は晴れの日を選び、平均週から3日から4日くらい竹韻庵に通っています。竹韻庵にはイノシシがやってくるのでイノシシが食べないような作物を植えるしかないのですが、この夏はピーマンやナスオクラが食卓を潤してくれました。

特別なことをしなくても、素人の私でも収穫できるのですから、大地の恵みは在り難いというしかありません。

ところで話は変わり、遊声塾生で月に一度香川から通ってきていたアサヒビールの I氏が福岡に栄転になり、8月31日レッスンを早めに終え、ラインでつながっている塾生でお祝をすることができました。

共にシェイクスピアを読み、恥をかき発表会をやった仲間は、やはり強いきずなで結ばれているのだということをあらためて感じました。

昨夜も私を 含め4人で、恋の骨折り損の4幕を、繰り返し2時間半近く声を出し続けたのですが、4人で無心に集中して声を出し続けていると、いつの間にか浮世のうさが、体の中から消えて無我の境地でのトランス状態になってレッスンを終えました。

H君が仕事がら遅い時間帯にしか来られないので、結局4幕を読み終えたら、9時40分を回っていました。みんなすっきりした、いい顔いろをしています。

書きながら思います。61歳で遊声塾を立ち上げてつくづくよかったと。原稿書きの仕事にめどがついたら涼しくなってきましたので、またいつものペースで五十鈴川だよりを書けるかと思います。

なお、福岡に転勤になったI氏は遊声 塾は継続したいとのことなので、月に一度は無理でも何らかの形で、マンツーマンでのレッスンを継続する方法を考えたく思っています。

以前も書いたかと思いますが、いまや塾生は私の中では疑似家族化しつつあります。大切な仲間、いい意味での人との関係性は時間がかかり、自然と深まってゆくように思えます。無心に鍛え合うつらい時間を共有しないと、今の世の中、すかすかな空虚な関係性しか育めないように、思えます。

I氏との関係性は20年に及びます。 時間を大切に交代でいったり来たり、なんとか個人レッスンを続け、氏を来年の発表会にも参加できるように、策を練りたく思う私です。

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