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2016-04-06

時間の許す限りシェイクスピア作品を声に出して読みたいと思います

還暦を過ぎ、老いてゆく流れの中、あえてつかの間逆流するかのように、丸3
歴史劇をきちんと読みたい
年本当に貴重な仲間と共にシェイクスピアを読み続けた結果、【間違いの喜劇】を何とか2時間近く一人で、全登場人物を遊読できたことで、自分自身のこれまでの人生にある種の一区切りをつけることができた。

これは井の中の蛙が、無謀にも18歳で世の中に出て、何とか泳ぎ切って今を生きて迎えることができた、自分自身に対する祝福の遊読会ででもあったのだということを今感じている。

いよいよこれからの人生時間に向かってゆくための、オーバーだが一つの内なる儀式を何とか終えたような気がしているのである。

人は悲しいかな(それが素晴らしいのだとの側に私は立ちたい)、なにがしかの幻想の誤差を生きているのではないかという認識が私にはある。

生意気な高校生時代、ベケットのゴドーを待ちながらという今や不条理劇の古典である芝居を読んだ。ちんぷんかんぷんだったが、天才ははるか遠くの先の時代の到来を予見していたと、分かる。

話を変える。理解をするということは果たしてどういうことなのであろうかと、いまだ時折考える。自分たちが臆面もなく正しいと考える側から一歩も出ない思考というものは、危ないと私は思う。

生まれた時を記憶していない私は、おそらく消えるときもなにも感じなくなっているのかと、考えると、不条理なわが体が思うことを時折こうして書き刻みたくなるのである。

私が初老の体を引きずりながら、シェイクスピアの言葉、声を出すことにしがみつくのは、ゆえなしとしない人間の不条理な世界をすでに400年前に予見していたからだと、書いておきたい。

とにもかくにも、今はただ翻訳日本語によるシェイクスピアを、かろうじて読めるわが体をいたわりつつ、 あの膨大な言葉の海を少しずつ身体で読んでゆきたいと思わずにはいられない自分がいる。

37本のほとんどは、33年ぶりに再び読む作品ばかりである。それらの作品群がどのようにわが体に迫ってくるのかが、初老男のひそかな楽しみである。

1 件のコメント:

  1. 来年は 「ヘンリー5世」ですか? うちにあるテキスト ちょこっと見てみましたが 長いセリフが多くて たいへんそうですね。事前に 英国史の勉強 しておかなくてはいけないでしょうか (*^_^*)

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