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2015-10-27

早朝月を眺めて晩秋に向かって指導する。

きのうゆうがた、ペンキ塗りを終えるころに現れた、東の空のお月さんをしっかと愛で、今朝起きて西の空に浮かんでいる月を再び愛でたのちブログを書いている。

肌寒い中での束の間のお月見。何度も書いているが私は月が大好きである、太陽と違って月は見続けることができる。熱いコーヒーを片手に、月としばしお話ができる自分は幸福である。

さて、何かと同じことをやっているかのように日々が流れてゆくが、2度と同じ日々はやってこない、今日は今日の時を刻んで木の葉も多彩というしかない色の移ろいをみせる。
朝日の当たるS氏の山荘

早朝、竹韻庵に向かう道すがら岡山大学の前の銀杏並木を通る。朝日に照らされて、日々色づく銀杏の葉の見事さはなんとも言えない。(今朝も眺められるとおもう、コンビニでコーヒーを買おう)

本格的に一日が始動する前の、静かな朝のひと時の学生街が私は大好きである。竹韻庵に通うのも週に3日とはいえ、3ヶ月が過ぎた。

わずか3月でも随分と竹韻庵の雰囲気は変わってきたように思う、何事も根気よくやり続けることの中からしか、見つけられないということを私は感じる。

話は変わる。続けるといえば夕方このところ平均2時間以上ペンキを一人で塗り続けている。昨日で9日間塗り続けた。さすがに少し疲れが出ているが、愉しいので続けられる。

こんなにも木工部分に塗装をし続けたことはわが人生で初めてである。自分でいうのもなんだが、こんなにもペンキ塗りが持続するとは自分でも正直思わなかった。
竹韻庵のご神木

長くなるので書かないが自分の家が持てるなんてことは考えたこともなかった家なので、大切にしたいという一念が私をして、 いざペンキ塗りへと向かわせてしまうのである。

塗りにくい部分を塗るときなどは首が痛くなるが、そんなときには秋の空のまだら雲を眺めしばし首休め、するとあらたなエネルギーが空から私の中に注入される。いわばそんな塩梅、人間の体は本当に不思議、意識の仕方次第での変化は、まさにいい加減である。

いささか早くに感じる木枯らし一番が吹き、今年は何やら冬の到来が早く来そうな気配だが、意識の持ち方次第での、冬の寒さを迎える心かけの準備だけはしておかねばと考える。

自分の頭で考えたことを実践する。 それ以外には私にはほかに今のところ方法がないが、とりあえずはお手本が身近に存在しているので、それをよすがに自分の足で(オーバーだが)晩秋に向かって歩いてゆく私である。

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