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2015-10-28

沖縄、名護に住む桑江純子さんから【馬毛島漂流・矢板俊輔著】というご本が送られてきました。

今朝も起きたら、西の空に満月がぽっかり、新聞を取りにゆき、コーヒー片手に月を眺めているとサンナンのN氏から今日は畑に入れないとのTEL、というわけで雨後の思わぬ一日が過ごせることになった。

このところのお天気続きで体を動かすことの多い日々を過ごしていたので、私にとっては恵みの雨である。

夜は遊声塾があるので、久しぶりに家で夕方まで一人の時間を過ごそうかと考えている。10か連続で外壁の柱を塗り続けたので一階部分の柱はほとんど塗った。しばし一休みしながら、どうやって二階部分の柱や壁を塗ってゆくか、じっくりと考えたい。

ところで昨日、雨が降るとの予報を見越してわずか25株だが、竹韻庵に苗屋さんで買った九条ネギを植えてみた。先日肥料を買いに行ったときに見つけた苗で、苗が伸びすぎて枯れた部分も多かったので半額でいいと言ってくれたので、これまた実験的に植えてみたのである。

きちんとした畑地になるには、それ相当の月日が必要だとは思うものの、せっかく開墾したのだからなにか植えてみたくなるのである。

竹韻庵の畑地は、超ミニ畑も入れると、今5番目の笹の根ランドを開墾している。小さな耕運機で耕し竹笹の根を根気よく取り除いてゆくことを繰り返すだけである。

S氏も途中から参加しこまめに動く、やはり二人でやると愉しくもはかどる。もうお互いセカンドライフなのだから長時間やる必要はない。

ただひたすら楽しんでやるのみ、午前と午後、まったく異なることをやれる今の生活は、なんともはや言葉にならないくらいうれしく有難い。

S氏のおかげなくば、竹韻庵に通うこともなかったわけで、人生の有為転変は不可思議の極致。ブログを書き続けていたおかげであるともいえる。

氏は私のブログをよく読んでくださっていて、お声掛けしてくださったのだ。氏は誠実な人柄で私と違って人望がある。私とは性格がまことに持って異なる。だからお互いにとって良いのかもしれない。

私には数十年続いている君子の交わりのような友人知人が存在する。数は多くはないのだが、時折友はどうしているかと、秋空の元ふと思い浮かぶ。

そのような存在が心の中に棲んでいるということは、有難いことだと思う。若い頃は激論も戦わせた中にこそ、素晴らしき友はいる。

肝胆相照らし、お互いの欠点も含め、愛し愛され、支え支え合う、そのような関係性を育めるには、なにをどうしたらいいのか。虚心に実践の中からいよいよ今後考え続けたい。

利己と利他、夫婦関係も子育てを終えると別次元に入るかのように感じる。日々野菜に水をやるように適度な加減の按配の妙、思いやり、などと言うは易しだが。

ところで話は大きく変わる。沖縄の尊敬する人形劇かじまやの主催者、桑江純子さんから、本が送られてきた。

桑江さんご夫婦は私の唯一の沖縄の友人(人生を沖縄の芸術に捧げている)である。

このような希少本、(本屋さんにはまずおいていない)を(何度も書いているが私は、あらゆることに関して無知である)送ってくださる友を遠方の、辺境の地から送ってくださる友がいることの希少価値。

じっくりと心して読まねばならない本である。







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