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2015-05-11

赤坂真理著、【東京プリズン】読み始める。

岡さんと、S氏からそれぞれのブログに暖かいコメントをいただいている。この場を借りてありがとうございますとお伝えします。

わたくしごときが書いたものでも、 なにがしかの反応があるとうれしい。都合のいいことばかりではなくとも、それもなんていうのか、反応のひとつと考えれば、生きていればこその醍醐味といえるかもしれないし、自分を再点検できるくらいには、考えられるようになってきたと思う。

ともあれ、めったにコメントは来ないのでややもすると、数日ブログを書いていないと気づくのが遅くなったりもしています。

ブログを書かない日は、パソコンを開かない日もあるので、御容赦ください。岡さんからは一番ビビッドに反応があるので、やはりうれしいですね。

赤坂真理著【愛と暴力の戦後とその後】について、書いた日の反応も早かった。いつの日にか、一日に一件位の反応、反射、リスポンスがあれば愉しきかな、 と思う私です。

でも多くは望みません。今くらいが五十鈴川の流れとして、ふさわしいのだと思うことにしていますし、何よりもほとんどは自己満足、日々の自己確認ブログなのですから。

ところで、畑が忙しい季節になり、シェイクスピアのあまり読まなかった作品も30数年ぶり、再び読む読むようになり、有難くもにわかに忙しき日々を送っている、

そのような中、数年前書評で切り抜いていた小説、赤坂真理著、東京プリズンを読み始めました。文庫で527ページあります。今200ページくらいまで読み進めています(独自の発想に驚かされます、いよいよ面白くなってゆきます)。

私はあまり小説を読むことを しない暮らしを続けていたのですが、あまりにも、愛と暴力の戦後とその後、(これは小説ではない)が私にとって面白かったので。丸善に直行したのです。

私は本を読むことは好きですが、あまりの本の多さには気圧されるところもあり、その絶対矛盾を生きています。(でも読み続けているからこういう本に出合えるのです)

赤坂真理さんは異性であり、世代も、いろんな点で異なるのですが、一言でいえばささやかに共通感覚が一部重なるかのような(もちろん一方的にです)問題意識の持ち主だと言えます。

このことは、戦後生まれの私としては、これから元気な間、生活者として、一人の人間として個人的に学び考え続けてゆかなければならない、ということを再認識させられる。

彼女は、自分が生きてきた戦後45年間の自分の中の闇を、全身全霊をもって言葉でもって立ち向かう。得体のしれない自分とは何か、この感覚はいったい全体なぜ、どこから来るのかと、ときにガラスのように壊れやすく、繊細に、痛ましいまでに自分を問い詰める。

高圧線の電源の上を綱渡りでもしているかのように、その痛みに真正面から立ち向かう。自分に正直に向かい合って生まれてくる独特の 言葉の表現には圧倒される。

その問いは、読んでいる私に向かって言葉の矢が突き刺さってくる、というたぐいまれな斬新な手法で書かれている。泣けるほどにすがすがしい。

いまはまだ読み終えていないので、これ以上野暮な文章は控える。

1 件のコメント:

  1. [愛と暴力の戦後とその後] 入手しましたが、今、高野秀行氏のソマリア関係の本を読みかけておりますので、それが終わってから ゆっくりと。

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