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2015-02-13

63歳を迎えました、まだまだこれから右往左往です。

63歳を迎えました。還暦からあっという間ではあります。この3年間は自分でいうのもなんですが世相や、世間の空気感からは遠いところで、静かに家族とともにつましい充実感と幸福感につつまれながら生活できていること、感謝の言葉しかありません。

いきなりですが、私は高峰秀子さんの文章をこよなく好んで繰り返し読んでいます。なんか読後、すっきりさわやかな気分になれるのです。

本当にあこがれの、遠くから仰ぎ見る、爪の垢を煎じて 飲みたいくらいに、私の中では、かっこいい性差を超えた存在になっています。枕元に【瓶の中】という、復刻された本を置いて寝る前に眺めているくらいです。

あらゆる苦悩を背負い、運命を前向きに生きてゆく潔さ、覚悟が素晴らしい。だから道が開ける。聡明という言葉が一番ぴったり似合う人。

この方も独学の大家。才能なんてほとんどの人は、私は同じだと思っています。努力を楽しめるかどうか。だがやはり高峰さんは特別の才能をお持ちの方なのだと、私は思っています。

あこがれるほどに、素敵な晩年を過ごされたお手本になる方。私にとっては勝手に一方的に諸事万端を少しでも学びたいと思ってます。(無理だよなあ、とは思いつつ)

晩年の下り坂を、私自身が右往左往しながら、よたよたと歩む姿を可能な限り赤裸々につづってゆくしかない五十鈴川だよりですが、あきらかに書き始めたころの私とは変化しています。

このいい意味での変化のような感覚が持続できる間は、きっと五十鈴川だよりは右往左往とながれてゆけるのではと、思っています。(変化しなくなったらやめます)

これから先の自分のことは、まったくわからない。だからこそ新鮮に生きられる。そのように私は感じるからこそ、5年以上も同じようなことの繰り返しの日々のつれづれを、あきることもなく つづれる。

悩みがあってもそれこそが生きている証、それに向かってゆけることこそが醍醐味ではないのかと考えます。

それもこれも、身体あってこその意識。生誕の日は両親に感謝する日です。遺影に手を合わせ普段通りの一日をこれから過ごします。大いなる何かに身をゆだね、あるがままに流れます。

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