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2022-12-04

ワールドカップ、カタール大会日本代表選手に打たれました、そして思う。

 私の寝起きする昔娘たちが使っていた部屋は、広いので部屋全体を暖めるには暖房効率が悪い。だから、すぐに暖まるちいさなスペースにタブレットを移動し、すぐに足元が暖まる、ちいさな電気ストーブをつけ、書写をしたり、五十鈴川だよりを打ったり、新聞を読んだり、師走から始めた。つましく、だが贅沢に生活を希求する、のだ。

今、一番狭いお風呂場の脱衣場で打っている。妻が大工さんだったなき父が使っていた板を用意してくれテーブルがわりにしてくれた。時おり朝食もここで済ます。気分も変わるし、元々4畳半生活が世の中に出て長く続いたお陰で、狭いスペースで過ごすのはさほど苦にならない。

岡山に越してからは、人生で初めてといっていい広いスペースでの生活が30年も続いたので、からだが広い空間に馴染んでいるのだが、ものを考えたりするのには、私の場合狭い空間のほうが、性に合っている。

今朝の我が家のはな

きっと世の中に出て、経済的にあまりにも苦しい生活が長く続いたことが大きいと想うのだが、その当時のハングリーさを嫌でも思い出す狭い空間は、やはり私にとって大事である。それに現代という魑魅魍魎世界の奈落にいつ落ちるかもわからない、世の無常に思いを馳せるとき、普段から慢心しないように心かけての生活は、必要だと考える、のだ。

というわけで、頭が新鮮なうちに休日の朝、ハムレットの書写もこの空間で初めてやってのち、遅めの朝食を終え気分転換五十鈴川だよりに向かっている。

昨日とは打って変わっての曇り空、ブ厚い雲におおわれ気温も低い。だが、重い曇り空と寒さのなかの休日を、少しでも気分よく過ごすためには、何か考えて気分が上向くようなことをしないとまずいという気がして、五十鈴川だよりをうち終えたら、妻が仕事で不在なので、運動公園に散歩に行き、少し体を動かして、午後はしずかに部屋でしずかに過ごすつもりである。

世の中、ワールドカップの話題で持ちきりだが、かくゆう私だって五十鈴川だよりではまったく触れていないが、ジーンとさせられている。勝者と敗者の残酷なまでの明暗、歓喜の雄叫び、スタジアムが興奮のるつぼとかす。サポーターの熱狂、心とからだが一体合一、選手監督コーチのなりふり構わぬ熱い抱擁。やったものだけが感じる連帯、まさに絆の結晶。美しいという他はない、奇跡的な動き輝き。吉田麻也キャプテンが、言葉にならないと言葉で語ってくれたが、まさに神がかり、何かが降臨してきたとしか、思えないような場面を、リアルタイムで目撃できたたことへの感謝を、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。

古稀の体をかくも熱くさせるサッカー。ボール一個を奪い合い、あの限定ネット空間へのゴールに世界中のサッカー、私のようなにわかファンまで含め熱狂するのはなぜなのだろうと、冷静に考えてみてもわからない。ただひとつ私が思うのは、いい意味で予想を裏切った素晴らしい結果はいかにしてうまれたのか。当の選手たちは自信をもって試合に望み、監督も寸歩も負けるとは思わないチームを造り上げてきた自信が、あのような穏やかさに現れている、気がする。

自分を信じきれないものは、他者に感動を与えられることはないという厳然たる真実。厳粛な事実を、古稀のわたしはこの度の日本代表の選手たちから教わっている。それにしても思う。若さとはなんとかけがえがないものであるかということを。人間が人間と見えない糸で結び付く一瞬の光のような、すべての全世界の苦悩を瞬間忘れさせてくれたかのような、場面展開に老人の私ははしびれたのである。老け込んではいられないのだ。

思いもしない五十鈴川だよりになってしまったが、これも又、狭い空間で打ったから、生まれてきたのかも。ともあれ今回の日本代表は、暫しすべてをいい意味で忘れさせルほどチャーミングである。



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