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2021-08-24

コロナ渦中、束の間東京滞在記、感覚がほやほやのうちに、夏の終わり夕刻に記す。

昨日に続いて、わが長女家族について、身体の記憶が生々しいうちに、わずかでも打っておきたい。長女家族は東京都稲城市のマンションに住んでいる。

長女には、今年の3月で3歳になった、私にとっては初孫の望晃(のあ)君がいる。コロナでなかなか上京できず、葉君が生まれてくれたおかげで、久しぶりに長女家族とも再会がかなった。

上京した翌日、15日日曜日には、次女のところに長女家族も集まり、17日がちょうど長女の生誕だったので、一足早くお昼にお誕生会をした際に、ノア君とは再会を果たせた。立派に会話ができるようになっていて私を驚かせた。

16日午後、時間を見つけ三鷹まで玉川上水沿いに散歩がてら歩き、啓文堂書店で長女へのプレゼントに本を買い、当日午後お誕生日届けることにした。翌日夕刻17時半、自転車でノア君を保育園に迎えに行った娘と駅で待ち合わせ、3人で駅からマンションまで約10分、ゆるやかな登り道を、自転車を押し会話しながら歩いた。

途中、ノア君が猫じゃらしほかの雑草に興味を見つけ、嬌声を発するので夕飯にはまだ早いし、明るいので二人で公園で遊ぶことにした。しばし娘もともにいたが、一足先に帰り、私はノア君との二人(たまたま雨がやんでいた)束の間時間をここぞとばかしに過ごすことができた。

約10か月ぶりに抱っこしたノア君は、古希目前のおじじには、いささか手ごわい重さになっていたが、素直に抱っこされるし、またしばらくは、体温や感触をこんなにも 密着して感じるチャンスはないのだと、我が身に言い聞かせ、負担を軽くすべく抱き寄せ抱っこ、しばし3歳5カ月の孫の重さを、我が身で体感した。

リアルな重さ、苦しくとも抱っこできる今を味わいたかった。きっと数年後はたぶんできない、今がすべてと言い聞かせ。久方ぶりの孫の成長している重さを、がっちりとわが細身の体で受け止め、娘の誕生日、雨だったが思い切って来てよかったとおもった。

 仕事を終え帰宅してくる夫レイさんを待ち、伴に夕飯をすることにした。午後7時過ぎ、仕事を終えたレイさんが帰宅、(娘の誕生日だったし私が来ていたので予定より早く早く帰ってきてくれた)思わぬお誕生晩さん会が実現した。レイさんがちゃんとノンアルコールビールを用意してくれていた。

ノア君は早めの夕飯の後少しぐずったが、寝付いてしまってから、レイさん、娘、私の3人で久しぶりに8時半まで語り合い、娘のところを辞し、雨の中を駅まで歩き、調布に出てそこからバスで次女の住むマンションに帰ったのが9時半。

ちょっとハードな往復ではあったが、東京郊外のマンションに娘二人がそれぞれに家族を持ち、行き来しているそのことに関してどれくらいの距離感でなのか、知りたかった。

京王線と小田急バスを乗り継いでの、コロナ渦中雨の沿線往復小さい旅見つけた、である。古希目前の初老男には、雨の都会の郊外の車窓行き交う無言の人々の、生活行列がどこか夢の中の風景のようにも思えた。

ひさかたの孫の重さは、岡山の日常生活では決して味わえないし、葉君が招き寄せなかったら、娘の生誕にも駆けつけることなどできはしなかったろう。今やりたいこと、やれることに全力でエネルギーを傾注していると、何やらいいことが、このような閉塞感に満ちたコロナ渦中でも、実現するのが不思議である。

さて、書いているといろんなことが思い出されてくるのは、老いつつもどこかで脳の、身体のシナプスが活性化しているからなのだと、都合のいいように考えている。きっと望晃くんや、葉君がおじじにエネルギーをくれているのだ。(と)

さて最後の日、次女家族にお別れし、再び長女家族の下に 私が着いたのは午前10時である。すぐにレイさんとノア君、私の3人で梨畑の未知を歩き、図書館に出掛け往復午前中散策、すっかりノア君は久しぶりの生の私になれ、すぐ抱っこを迫る。

何回か抱っこした。重かった、腕の筋トレ、足腰の老いの鍛錬、いろんなことを考えながら、今しかできないのだから、甘えているのだから、頼っているのだから、老いの身をフル回転、耐えた。

地面に降りてくれた時の解放感。孫のなんとも言えない柔らかさと感触は、おじじ孝行の極致である。突然頬にキスしたら、キスを返してくれたのには、ほんま予期せぬ出来事で、おじじはコトバにできないほどしびれた。(ノアくん、ありがとう)

お昼の後、私とノア君はお昼寝。昼寝の後、今度は娘とノア君と私の3人で近所の公園他を散歩散策した。ここでおじじとノア君が見つけたのが、ノア君の倍以上の高さがある背高泡立ち草。私が引き抜いて根についた泥をはらい、やりのように持ち、ノア君めがけてお尻ぺんぺんと追いかけまわすだけの、単純極まる遊びなのだが、これが意外なことにノア君に大うけ、娘も大喜びだった。

ノア君のなんとも言えない声音が、団地やマンションや建売がひしめく天空に響き渡り、岡山ではない、稲城の空に響き渡った。私はその声音の透明で純粋な響きに、身体の奥深くがゆれた。娘の爛漫な声も久しぶりに聞き、コロナが顕れてからこの方の、どこかに澱のようにたまっていた嫌なものが、吹き消されてゆくかのように思えた。輝く思い出ができた。

これで終わらない、夕食の後、最後の夜のお出かけ。夫でナイスガイの父親レイさんが、私の要望に応えてくれ。私がお昼寝していた間にたくさんの花火を買ってきてくれていた。車で15分くらいのところの花火ができる公園まで、4人で出かけ、夏の終わりの思い出が。

わずかな時間だったが、花火は長女家族の温かみを闇の中に浮かび上がらせた。この時も私はノア君の時折発する、明晰なコトバに、 確かな成長を随所に感じた。これはリアルに体感しないと分からない感覚というしかない。花火を終え、しばし闇の中の遊具でノア君は全力で遊ぶ。

【遊びをせむとや生まれけん】 梁塵秘抄のコトバが蘇る。最後闇の中で、最後の抱っこをした。心が通じ合った。部屋に戻り、シャワーを浴びたノア君は、この間と違って娘が本を読んだら、あっという間に寝入った。

翌日朝8時、稲城の駅で長女家族とお別れ、心なしかノア君は寂しそうであった。(娘たちはお肉をたくさん持って、2台の自転車で次女家族に会いに行った)会うは別れの、である。一期一会とはよく言ったもの。ノア君、葉くんの変化成長が楽しみである。孫たちは、おじじに物事の内省を迫る。

レイさん、周さん、娘たちの夫、孫たちの父親、お二人に脱帽です 。今しばらくお二人を見習うことにします。元気なうちに。


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