ページ

2021-05-29

【若松英輔著 霧の彼方 須賀敦子】ようやく読み終えた朝に想う。

 二階の私の部屋の机の前のガラス窓から、梅雨の晴れ間の青空が広がっている。先ほど起きてすぐ新聞を取りに行ったら、欠けつつも、まだまあるい残月が西の空に浮かんでいて、ひんやりとした朝の冷気で深呼吸し、しばし月を眺めた。

さて、今日明日は肉体労働はお休み、雨でも休むから、梅雨の時節はとくに午前中、集中していろんなことができる。集中して体を動かすことも好きだが、集中、じっとして 読んだり、書いたりすることもまた同じように好きである。

私の中では同じこと、つながっていて往復運動をしているような按配なのである。どちらも私にとっては必須アイテムである。

さて、【若松英輔英輔著 霧の彼方 須賀敦子】全470ページをおおよそひと月、ほかの本も併読しながら、読み終えた。

数年前、須賀敦子さん(と気軽に書かせていただく)の本をはじめて読んで(地図のない旅とトリエステの坂道)私はこの稀な生き方をされた作家の存在を、強烈に認識し、知った。

世代も、生れ落ちた(須賀さんは1929年芦屋のお生まれ、敗戦の時16歳である)環境も、性差も異なるのに、何故惹かれたのかは、今はまだよくはわからない。

数ページ読んで、独特の感性と知性の輝き、余人が感じえないかのような世界を鋭敏に察知して、それをわかりやすい、読みやすい言葉で推敲され、普通の人間の存在の奥深さを深く見つめる、珠玉の文体に魅了されたのである。

だから、【若松英輔氏の評伝 霧の彼方 須賀敦子 】を図書館で見つけた時はことのほかに嬉しく、借りるのを延長して、ゆっくりと全25章を読み終えた。

あきらかに、手術後であったがために、読書の質が私の中でいい方向に変容し、一日に一章ずつといった感じで、目で舐めるように毎朝ゆっくりとよみすすんだ。

丁寧に真摯にというほかはないほどに時間をかけて、まるで寄り添うように、呼応するかのように書かれた 評伝を、あだやおろそかに読めるはずもない。読み終えたばかりで、うかつな感想など書けるはずもない。

ただこの評伝を読んだおかげで、おそらくこれからの人生時間の中で、須賀敦子さんの書かれた、遺された著作を繰り返し読むことになるだろうということを五十鈴川だよりにしっかりと書いておきたい。

 

 


 


0 件のコメント:

コメントを投稿