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2018-09-21

鬱陶しい朝、運動公園で体動かし、そして考える。

慈雨という言葉があるが、私にとっては慈雨ではあっても、多くの方にとって、特に災害に遭われて避難生活を余儀なくされておられる方々含め、状況が異なれば、千差万別の雨の、受け止め方になる。

さて、鬱陶しい空模様の中、小ぬか雨だったので、気分転換に、運動公園で約一時間、今朝は声出しではなく、体動かしをやってきた。

激しい雨でなかったら、私は濡れても外でわずかでも体を動かすように、特に今年から心かけている。暑い夏の今年は、何回か声出しも雨の中でやったのだが、雨だと人もいないし、人の気配のない広い場所で、声を出したり、軽いジョギング等の、体動かしは実に気持ちがいいのである。
初収穫我が家の唐辛子

小さいころ、雨の中でずぶぬれになって、夏休みよく遊んだ記憶、原体験が、いまだに私を外で遊ばせているのではないかと考える。

濡れた体をよく拭いて、衣類を着かえた時のここち良さはなんとも言えない。

昨日夜は カルチャー教室でのレッスンがあり、おそく寝たのだが五時前には目が覚め、身体が重く、それを解消するために体動かしをやったのだが、効果はてきめん、凄く体が軽くなり、五十鈴川だより時間というわけである。

気分がすぐれない時には、あえて体を動かし、自分で自分を気分良くする方法のようなものを、年齢と共に考えるようにしている。無理をするというのではなく、意識的に体の気持ちのいいほうに向きを変えるのである。

人間であるから、体調がすぐれない時が、多分にどなたにだってあるはずで、私にもある。ただ私の場合、若い時は本当にお恥ずかしいというほかないほどに、ぐうたらで怠惰な世情に流される生活をしていたのだが、家庭を持ち家族に恵まれるにしたがって、ようやく人並みに真面目に生きるようになってきたというのが正直なところである。

人生の折り返し地点を過ぎて、子育てを終え、人生の残り時間をいやでも考えざるを得ないようになってから、ようやっと少しストイックに物事を考えるようになってきた、というのが偽らざるところである。

だが、昔から年寄りの冷や水というくらいで、オーバーワークは禁物である。よく動かしたら、よく休むのが鉄則である。

ストイックを楽しんで 生きる晩年ライフなんて、よもや自分には不可能であると考えていたが、あにはからんや、そうでもない自分が育ってきている(ような気がしている)。

一週間を、バランスよく体調管理しながら、心身を面白がらせる。体を晴れ晴れとする方法を、探究する。苦楽する。

【人間は 努力する限り 迷うものだ】    ーゲーテー ファウストより。







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