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2017-10-19

リア王を声に出し、何かのひらめきがあり、肉体労働に励む。

昨日午前中お日様が顔を出したので、この時とばかり洗濯物をそとにほした。だが、夕方からまた雨になりこれを書いている今日、またもや雨が降り続いている。
雨の中ガラス窓にへばりつくカマキリ、パソコンの部屋の窓

なにやら寒暖差も含め季節の移ろいが極端な今年の秋である。自然と直結している人間の体、私のような単細胞は、かなりその影響を受けるが、沈みがちになる気分を盛り上げるには、以前も書いたかもしれないが、雑巾がけ、つまり掃除が私の気分向上策の一つである。

今朝も 妻と娘が仕事に出かけた後、片付けを済ませ、洗濯物を部屋に干し、約30分雑巾がけをし、さっぱりした面持ちで、いっときのブログタイムである。

肉体労働は、なんとかひと月半、続いている。無理をしなくても生きてゆけるのだが、雨の日も若い方たち(一番古株で私よりも20歳わかい)とともに前期高齢者である私がひとり混じって働いている。

雨の日の労働は、もちろん雨合羽を着てやっているのだが、正直、大変に私にとってはきつい労働である。何せ私は65歳、若くはないのだから。でも私はその時折感じるきつさの中に、ギリギリのところで、いまだ踏ん張れている自分をどこかで、意識し感謝しながら体を動かしている。

働いているときは、弱音はご法度、どこかで動く身体に感謝しながら、身体を動かし続けていると、未だ体が、眠りから覚めて動き出すのである。

私よりもずっと若い方たちから、若いですね、と労われるが、本人の体の状態は本人が一番よく覚かっている。
私は米原万理さんの著書のファンである(わたしの好きな人がつぎつぎといなくなる)

無理は禁物、65歳なのだから 、と自分でときおりいさめもするが、天邪鬼の私は、今しばらく体に負荷をかけられるうちは、かけて体の変化を意識したいのである。

幸い、会社からは今のところリストラの気配はないので、まずは3ヶ月を乗り切ることが当面の目標である。

ところで話を変えるが、遊声塾ではリア王を声に出して読み続けている。リア王というシェイクスピア作品のすごさを、歳と共にいくばくか深く感じ取れるようになってきた、気がする。なん度読んでも、声を出しながら読んでいると、新しい発見がある。面白い。

若い頃に読んだ時と 、現在の年齢で読むのとではまるで異なる。リアは80歳の老人である。まさに権力者リアの転落、娘たちに裏切られ荒野に放り出される。老いてゆくことの、残酷さ、悲惨さ、苛酷さを酷薄にまで描いている。その筆力は恐ろしいくらいである。声に出すとよくわかる。

多面的に人間社会の、人間存在の不条理を 、愚かさを、実感する。私もまたそういう人間の一人である。リア王という作品は、老いを生きるという意味で、いまの私に多面的に語り掛けてくる、超越した時代性がある。

もし今の年齢でリア王を読まなかったら、肉体労働をやろうとは思わなかったかもしれない。


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