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2017-08-27

AIに格付けされる、という新聞記事に驚く。

朝一番新聞を手にしたら、一面トップに、【AIヒトを格付け】という文字が目に飛び込んできた。ファイナンスとテクノロジーを組み合わせた、フィンテックなる言葉も初めて知った。

18歳からただただ生きるがために働きながら、どちらかといえば文化バカ、経済音痴で、お金的な世界にはとんと縁なく、今も過ごしている私だが、私のあずかり知らぬ世界では、とんでもない地殻変動電子やりとり世界が、着々と進んでいることを知らされる。

だからといって、別段私の暮らしが変わることはないのだが、世界の在り様はますますカオス化、多様化してゆくのは避けようがない現実を受け止めつつも、私のような感性の持ち主には、あまりにも味気ない世界がひたひたと押し寄せている気がしてならない。
ブログを書く私のそばを離れないメル(あなたも格付けされるのは嫌だよね)

従来の価値観や、物の考えがまったく通用しない社会の到来である。だがしかし、ささやかに私は思考する。

世界の現実に右往左往しながらも、私は私の現実にしっかりと向き合い、日々地に足をつけて、心身を整えながら、AIに格付けされない初老の知恵なるものを 見つけられないかと夢想する。

限りなく現在の体の新陳代謝をよくするためには、お金にあまり頼らない質素な暮らしの中で、いかに喜びを見つけられるのかを、いい意味での無為の暮らしのようなことを、と、想うのである。

想うことの限りない自由自在さこそが、人間に与えられている素晴らしさの一つであるという側に、今も私はしがみつきながら、初老の初めて経験する今を生きている。

退職して4年以上過ぎたが、この4年質素な暮らしをしながら、ささやかに充実した暮らしが実践できているうれしき今を、臆面もなく五十鈴川だよりにつづれる鉄面皮の私である。

この歳になると、目が覚めて朝日を浴びながら、メルと散歩ができるだけでもささやかな絶対自由感覚の有難さを知らされる。(近所のお宅の丹精された花々を愛でるのも楽しみの一つ)

小さな庭で、朝の今を寿ぐコーヒータイム、若い時には味わえぬ初老の喜び。他者や、AIに格付けされるなどとは無縁な世界で私は生きたいと念う。

世界の一隅で、大切な家族と過ごせる今を、ただただ感謝する今朝のわたしである。

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