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2017-08-26

真夏の読書で夏を乗り切る。

今日は幾分涼しく感じるが、この夏はというか、やはり歳と共に夏の暑さがこたえるようになってきた。がしかし、こればかりは自然の摂理ゆえの難儀なのだから、何とか耐えてゆこほかはない。

何度も書いているが、この数年の私の暑さ対策は、肝心なことはほとんどを午前中に済ませ、午後は家の中の風通しのいいところを見つけて必ず午睡をすることである。

それとお風呂場での水浴、これを日中何回か 繰り返し、夕方の2時間くらいは図書館で過ごしながら夏を乗り切ろうとしている。

何事もある程度、規則正しいリズムのような暮らしが、私には必要である。弓の素引きの稽古も、朝一番か、ほとんど午前中にやるようにして、午前と午後やることをくっきりと分けるようにしているのである。

以前のようには、ブログを書かなくなってきたが、これも自然の流れということで、まったく無理ということをしなくなってきつつある。現在ちょっと入れ込んで無理しているのは、弓の素引きくらいである。

それとなるべく栄養のバランスのいいものをきちんと食べ、夜はとにかく早く休み 体をいたわり、十分な睡眠をとるようにしている。

お陰様で何とかいい感じで、夏を過ごしながら、時折文章を紡いだりする余裕のようなものをかろうじて 生み出せる初老の夏である。

還暦までの私は、生活するのにいそがしく、落ち着いて学んだり、静かに本を読んだりする時間があまりに少なかったので、夢が原退職後は意識的に本を読む暮らしを心かけているつもりなのである。

本を読める時間というものは、オーバーだが、あたかも新しい世界と対話しているかのような純粋時間だ。


おそらくこれまでの人生で最もたくさんの本をこの、夏は読んでいるのではないかという気がする。本はいながらにして、私に多面的刺激を与えてくれる。本のない暮らしは考えられない。良い本との出会いは、至福である。


気づいた時には遅いということはないという言葉に縋り付いて、この年齢から(おそらくは続かないかもしれないが)読書ノートを付けたいとの気持ちが湧いてきた。

熱しやすく冷めやすい私だが、五十鈴川だよりも随分続いているし、書評切り抜きノートは10年以上続けている 。自然の流れの中で続いてゆくものは続くのである。

ところで65歳の今年 、あらためて生活全般を見直している。もって生まれたDNAや環境は変えようがないが、生き方は変えることができるということをこれまでの人生で私は学んできた。

遅いということはないのである。体の奥からサインが出てきたら、あらゆる関係性を見直さないと、安きに流されるという気がいまだ私はする。

夏の暑さの日中の五十鈴川だより、論旨にまとまりがないが、本日はこれにて。



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