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2016-05-09

にわかプレミアリーグレスターファンになった私は、ささやかに思考する。

昨日深夜ブログを書いてから、特別の理由がない限り、サッカーを見ない私なのだが、岡崎慎司選手の所属するレスターの最終戦を見届けてから床に就いた。

たまたまレスターというイングランドの地方都市のチームを知り、130数年ぶりの初の歴史的な快挙 に湧くスタジアムの、チームとファンの一体感の感動のいっときに、わたしもバーチャルに参加したかったのである。

予期もしなかった奇蹟がこのチームに訪れたのには、きっと様々な要因があるに違いないが、そのような意外なことが、起こることこそがまさに人生の醍醐味というしかない。ましてやその現場に居合わせた、3世代にもわたるサポーターの末裔たちの積年の思いはいかばかりか、その心中は察するに余りある。

やはり当たり前のことなのだが、お金では買えない感動というものを、このチームとファンは私にあらためて知らしめてくれた。そのチームに日本人である岡崎慎司選手が参加してくれていたことが、ことのほか私にはうれしかった。
 

オリンピックや、プロ野球や、企業や、今のスポーツ界(にとどまらないが)に、繰り返される無感動的紋切型イベントに、私はすっかり嫌気がさしてしまっていたのだが 、このレスターというチームには、久しぶりに感動を覚えた。
わずか7株だが生まれて初めて育てている白菜

芯から感動したりすることが、老いるにしたがって少なくなってきつつあるのをわが体を、いささかさみしがっていたのだが、久しぶりに わが体は感動した。作られた小手先イベントにはわが体は反応しないのだ。

私のようなタイプは、小さき喜びや感動というものが、時折の生活の中に在るとなしではまったく異なる。ましてや還暦を過ぎてからは、再び恥も外聞もなく、遊びをせんとや生まれけん、の世界に回帰したくなっている。

日々穏やかに身過ぎ世過ぎできれば、大げさなことではなくとも感動生活を送ることこそが、いわばこれからの本格的な晩年生活に最も不可決な 要素であると認識している。

その感動が生まれてくるような暮らしはいかようにしたらなるのかは、私にもきちんと言葉では説明できないし、そのようなことを書いてもしょせん詮無いのだ。

ただ自分の体は自分で運び、自分の体で痛みを伴いつつも思考し続けない限り、見つけられない類の何かでは ないかというのが、現時点の私の思いだ。

ことさらに芸術や文化の追っかけをしなくとも日々の暮らしの中での充実こそが私には肝要なのである。

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