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2023-03-10

昨日玉島で、朋と旧交再会、お茶タイムが持てた喜びに想う。

 3月10日、今日は母の命日、東京大空襲の日、そして明日は東北津波原発事故大震災の日である。 

そして今私は、3月にはいってほぼ毎日、4月23日の多嘉良カナさんのイベントのポスター、チラシの配布に動き回っている。午前中は働き、午後2時くらいから5時過ぎまでアクター。動く人と化している。

母に命日、我が家のチンチョウゲ

71才の世間では高齢者と言われている私が、啓蟄を過ぎ、自分で言うのもなんだが、かくも元気に動き回れれていることの原動力、またはチラシ配布せずにはいられないのはなぜなのかを、五十鈴川だよりに綴るのは、やがてチラシ配布が叶わぬ体になってから綴りたく思う。

いまはただ配布した先のチラシが、一人でも多くの方の目に触れ、琴線に触れ、当日能楽堂ホールが200人の観客で一杯になることを願うだけである。

一日数時間、あちらこちらに配布しているので、正直体は年相応にくたびれるのだが、一晩寝ると体は蘇り、さあ今日も蟻のように配布するぞ、っという気になるのだから、ありがたいわが体である。

昨日はちょっと遠方の玉島まで、ポスターとチラシを預かってくださるというYさんと、もう一人同じ玉島在住I氏に会うべく午後2時半玉島のカフェで落ち合った。Yさんと直にお目にかかるのは、岡山の禁酒会館以来だから何年ぶりか。I氏とはほぼ一年ぶり。

旧交再会、長くなるのではしょるが私の企画を陰ながら応援したり支えてくださるかたが、おられるからこそ企画は実現する。だからその事に対する最低のわたしのできる行動は、できるだけお会いして、わずかでも言葉を交わし、感謝を伝えることである。

現在、今をいかに生きているのかというわたしの情熱の有り様を元気にお伝えできる間は、私自身の体を使って赴きたい、のである。

結果、五十鈴川だよりにお二人に会えて本当によかった、という個人的な感謝の思いをきちんと五十鈴川だよりにきちんと打っておきたいのだ。照れて面と向かっては言えないことも、五十鈴川だよりなら、変幻自在に打てる。

おしゃべりな私、いささか分裂的ではあれ、寡黙にしているのも大好きである。ともあれ、友遠方より来るというが、朋に会いに(愛に)ゆく、行ける喜びというものが、この年齢になると沁みるのである。私にとっての嬉しくも楽しいひとときは瞬く間にすぎ、ゆっくりとしたご挨拶もせぬままカフェをあとにした。(意外、私は照れ性である)

この場を借りてYさんお気持ちカンパありがとうございました。Iさんポスター買ってくれてありがとうございました。久しぶり高梁川をわたり、ちょっとミニドライブ、大事なヒトたちに逢え、郵送しなくて本当によかった。

企画すると、旧交再会時間が生まれる、シェイクスピアはこの世は舞台、ヒトは役者だといっている。宇宙の塵と化すまでのつかの間の、ましてこれからの時間、出逢えた方たちとの、たまゆらの語らいは、私にとっては宝石のようなひとときなのである。

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