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2022-07-18

90才の母と1才の葉くんとのふれあいが教えてくれた、今朝の五十鈴川だより。

 日録的にわずかでも打ちたい五十鈴川だより。今日お昼の飛行機で次女家族が帰る日の朝である。

昨日娘が結婚式に出掛け帰ってくるまでの間、孫の葉君のお世話を、母、妻、次女の夫と私の4人でやりながら、普段とは全く異なる時間を過ごした。いちいちは記さないが、記憶に残るよき一日を過ごすことができた喜びを新鮮なうちに少しでも打っておこう。

朝顔のような我が家の夏の花

次女抜きで、葉くんはお昼前まで家でご機嫌にすごし、お昼はとある長船の、家から20分位のところにある、田んぼのなかの定食やさんに出掛け(その間葉君は静かに大の字になって寝ていた)お刺身や天ぷら、フライなどの定食をいただいた。

ランチの後、目覚めた葉くんみんなでドライブ。宝伝の海まで散歩に出掛け、束の間潮騒の香りを嗅ぎ、砂浜を葉くんが触れる一時をすごす。記憶にはなくても最初の海の砂浜が体験できてよかった。葉くんは嬉しそうにしていた。家の戻ったら午後3時。おやつにスイカをいただいた。

それまで穏やかにしていてくれた葉くんのご機嫌がちょっと怪しくなりかけた午後4時前に娘が帰ってきた、とたん、葉くんのご機嫌が元通りになったのには、母親の存在の大きさを目の当たりにして、私は我が娘が母親として、成長している姿に、男子としてある種の感慨に耽らずにはいられなかった。

私の二人の娘は、大きく成長し、娘ではあるが全く物次元の存在となり、私たちが無我夢中で子育てをして来たのと同様、夫と共に助け合いながら立派に葉くんを育てている。まもなく葉くんは一才になる。未知の子育て世界、よくぞ二人で頑張って育てている姿を私と妻はしっかりと焼き付けることができた。(となりの部屋で葉くんが目覚め、早速妻の声が聞こえてくる)この続きは彼らを岡山空港まで見送ったあとに打つことにしたい。(結果昨日は打てませんでした)

申し訳ない。ここからは今朝うっている。昨日の五十鈴川だよりを引き継いで打つことにする。昨日空港に向かう前、わずかな時間ではあったが、私が肉体労働バイトをしている場所にある菜園場に全員で出掛け、茄子やミニトマト、シシトウなどをお土産に収穫し、義理の息子に私のバイト先を案内し、農耕車にのせ休日で誰もいない敷地内を走った。

最初娘家族3人、次は母と妻をのせて、夏の青い空のもと蝉時雨を聴きながら束の間の、よき時間を持てた。葉くんは記憶には残らないかもしれないが、90才の母とまもなく1歳になる葉くんとの記憶に残る共通の時間が最後に我が愛しきバイト先で持てたことは、なんとしても五十鈴川だよりに打っておきたい。

一旦家に戻り、パッキングをして10時前空港に向かう。予定通り早めについて空港で食事、心優しきS平さんが母の分までご馳走してくれた。葉くんは終始ご機嫌で、母と妻は心底嬉しそうだった。次女家族は12時25分の飛行機で空の上の帰路につき、楽しい束の間の幸せ時間は夢のように去っていった。

最後に、コロナ7波の感染拡大の最中、2泊3日、次女家族と再会のひとときが、もてたことの有り難さを野暮を承知で打っておきたい。90才の母と1才の葉くんとのふれあいコラボレーション時間の、えも言えない、葉くんのしぐさと声、その溢れる嬉しき表情が忘れられない。母がなんとも嬉しそうに葉くんと遊んでいる姿を、眼底に焼き付けることができ、映像で記録できたこと、今回の帰省の最大の喜びとなった。

そしてあらためて思い知らされた。循環する命の尊さを。いかに無垢で小さな命がかけがえのない存在となり、母の現在を活性化するのかを。その瞬間を目の当たりにして、私はかけがえがないとはこういうことなのであるということを、まさに教えられたのである。

ともあれ、これ以上は打たない。幸福とはなにか。夏休み時間が与えてくれた喜びを、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。

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