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2020-10-16

ようやく奥深き弓の世界の入口に立てたような感覚が、初老凡夫の体を満たす秋、そして想う。

 今日から来週月曜日まで上京する。約7なカ月ぶりの上京、この間初孫の望晃君に直接会っていない。スマホ画面ではよく会ってはいるが、直接触れ合えるのとではまるで異なる。私はまったくアナログ、昭和男を自認している。時代についていけない男であることも自認している。

だが、くれぐれも誤解しないように一言書いておきたいのだがデジタル時代の到来を否定しているのではまったくないことを。この五十鈴川だよりだってデジタル時代の おかげでつづれる。

娘たちや、ノア君はこのデジタル時代の大海渦中を、まるで空気のように吸って日々を生きているのだから、デジタル時代家族の行く末を、昭和初老凡夫としては、遠巻きに何かしら役に立つおじじであらねばと、想うくらいだけなのである。老いゆく我が身を未来の人たち家族と共に、気の合う仲間たちと共に。

きっと大昔から、年寄りの役割 のようなことが、各々の生れ落ちた地域の中であったに違いないのだが、この戦後の超高度デジタルテクノロジー革命で、雨散霧消してしまった感が小生にはする。だが私はあきらめたくはない。

このようなことを書き始めたら、切りがなく拙文を綴りたくなるのでやめ話を変える。さて前回、少し触れたが、このコロナ渦中の生活の中で、個人的に今の私の生活の心身を鍛え、いちだんとバランス感覚を養生してくれているのが、65歳から始めた弓の稽古である。

始めた動機はいろいろあるが、シェイクスピアを声に出して読むには深い呼吸がどうしてももっと必要だとの思いからである。それともう一つは、集中力の持続が老いと共にどうしても弱まってくる。【身体が】これをいかにしたら、との思いからである。

というわけで、はじめて3年半たつ。瓢箪から駒という言葉がある。長くなるので簡単に記すが、この数か月、総社に在る道場で、そこで巡り合えたすぐれた先生方の指導の下、平均すれば、週に数回稽古を持続しているのだが、去る11日総社氏主催のスポーツ大会弓の部に参加してみないかとのお誘いを、指導していただいている、T先生から有難いお言葉をいただいた。

小生無級、有段者がずらり揃う中に混じって弓をひいたこともなく、そもそも大会など出たこともなかったのだが、度胸試しくらいの軽い気持ちで、コロナ渦中の思い出に気分を変えたく参加した。

久しぶりに大いに緊張したが、何と3人一組の団体の中で(一度に4本、三回引き的中率を競う)結果的に優勝してしまったのである。私のチームは5段と2段の方と私。3人で24本を的中、私は4本しか当てていないのも関わらず。良きチームメンバーに恵まれた。

良くともに稽古をしていた顔見知りの方たちであったし、3回目次第ではひょっとしたら優勝の可能性が出てくるというプレッシャーの中、わずか一本の差でわれわれのチームが優勝してしまったのだ。4本的中の2本は最後の2本。

総社弓道クラブの先生が、誘ってくれなかったらもちろん競技に参加するなんてことは ありえなかっただろうから。まさに何事が出来するかわからない。私は4本しか矢が的中しなかったにもかかわらず、ほかの2名の方のお力で、優勝という栄誉を初参加で経験させていただいた事、いまだ信じられない。だが結果的に事実優勝したのには間違いはない。私には予期せぬ大きな出来事なのである。3人で支え合いながら、声を掛け合い、気で交流しながら矢を射る素晴らしさをはじめて知った。

苦節3年の果て、一日一日生活しながら弓をひく晩年時間がますます 貴重で大切に思える。I先生との出会い。I先生の創られた幸節館道場との出会い。総社の弓道クラブのすぐれた先生方との出会いが、コロナ渦中の私の生活を、豊にしてくれているという実感が深まる中での、思わぬ優勝の二文字は今の私に勇気を育む。

稽古の重み、持続の重み、仲間の重み、日々変化する身体の在り難さ 、弓は自問自答生活を永遠に迫る。

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