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2019-12-24

年の瀬、放置していた最初の書斎の整理整頓がやれる範囲でできました。

臆面もなく、つづるや五十鈴川だより。冬休み4日目の朝。妻も昨日から仕事がオフに入った。この3日間、今年の私は静かな年の瀬を楽しめている。

私は現在娘たちがかって使っていた2階の一番広い部屋を、書斎兼寝室兼弓の鍛錬兼等々の場として使っている。日当たりの良いこの部屋が今やすっかりお気に入りである。

家を建て替えた時に作った、西向きの冬は寒い四畳半の書斎とはすっかり疎遠になり、これまでの人生でたまった年賀状、手紙、チラシやポスター、物や写真他が放置、保管されていたのだが、一念発起、どうしても処分できない品々 のみを遺すことにして、整理整頓処分した。

おおよそ3時間以上書斎の中で、ひとり思い出と格闘しながら、かなり思い切って処分ができてようやく空間がすっきりとした。断捨離という言葉はあまり好きではない、とくに私は思い出に生きるタイプの情緒に弱い初老男なので。でも気力がしゃんとしているときに思い切らないと、きっと後々禍根をの残すような気がしたのである。身軽になりたいのである。

真実、時は残酷なまでに無残である。昨日まで立っていた人が、横になってしまう現実を還暦以降 、間接直接間近に知見してきた。そうなってからやろうと思っても遅いのである。だからやれるときに、やれる範囲でやっておこうと思ったのである。

告白する。私は整理整頓が苦手である。弱点であるといってもいい。振り返ると、18歳からの私の人生は、自分の弱点との戦いであった、と思える。少しづつ少しづつ自信をつけながら、時に大いなる反省をし、自問自答し、脱皮するかのように歩み、今もかろうじてその歩みの延長にある、といったあんばい。

でてきた宝のポスターを今使っている部屋に飾る
私は思う、思い出に耽るだけではあまりに能がない。ジャンプするためには老いたりといえども、ささやかにジャンプするためには力を貯め充電しないといけない、そのための冬休みである。過去の宝石のようなおもいでの数々が、私にエネルギーをくれるのである。だからこそ私は記憶の宝にすがり、今日を生きる 。時折過去を本質的に振り返るには、またとない年の瀬である。

話を変える。とはいっても難関が一つ。写真の整理整頓、40代のガンガン企画をしていたころの写真や、アフリカやインドでの珍しい風景写真など(これは処分できない)の整理整頓をやらねばならない、これに頭を悩ませていた。(デジタル以前のフィルムのネガの保存に)だが、忽然と救いの神が顕れたのである。

入塾したてのk子さんがカメラが趣味で、私がやってあげましょうかと(私が頼んだのだが)言ってくださったのである。思いもかけぬ申し出、お言葉。彼女に整理をしていただくにしても、まずは私が最初に書斎にきちんと足が入れるようにしておかないといけないと思ったのも、書斎の片付け整理にまずは取り組んだのもそのことが大きいのである。

彼女をお招きする最低の整理整頓は、何とか年の瀬にできた、そのことにほっとしている。ところで今日はクリスマスイブである。妻と二人でささやかに過ごす。





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