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2017-09-21

郡上八幡音楽祭音楽祭への旅❶

台風が日本列島を通過してゆく最中の、17日午後6時から行われた郡上八幡音楽祭に行ってきた。

悩んだ末、私は往復車を運転して郡上八幡を往復した。万一電車やバスが止まったら、土取利行さんの畢竟のイベントに参加できないかもしれない、そのことを恐れたのである。
音楽祭の前土取利行さんの拠点立光(りゅうこう)学舎一人訪ね手を合わせた

3連休で急ぐ必要もなかったし、先のふるさとでの低速運転にすっかり魅せられていたので、16日余裕をもって下呂温泉の近くまで走り、帰りの京都から神戸以外は一般道を走った。
 
というのは、帰り台風の影響でスマホのナビが、機能しなくなったからである。すっかりナビだよりだったのでさすがに 慌てたし困ったが、いざというときに頼りになるのは、わが体だけであるということを改めて経験した。

ギリギリの土壇場になると、いまだわが体は活性化する。わが体がナビ化したのである。直接情報、ゆく先々のコンビニで働く親切な方々や、ガソリンスタンドの人に道を訊きながら郡上八幡から岐阜、関ヶ原、彦根、米原をぬけ、何とか京都にたどり着き、そこからは高速に乗り、大都市を抜け、再び低速運転に切り替え無事に帰ってきた。

人間はギリギリの経験をすると、何やら不思議な力が湧いてくるものだということを、いい歳ながら改めて、この度の郡上八幡音楽祭への旅で体験した。普段の暮らしでは起こりえないことが旅では起こる、だからこそ人は旅をする。

行きの372号線や、帰りの21号線、8号線はもう2度と走ることはないかもしれないが、脳裡に刻まれている。また、スマホのナビに問題が生じなかったら、こんなにもコンビニに立ち寄り、見知らぬ方たちと言葉を交わし触れ合うことはなかったであろうと思う、意外性と偶然性こそが旅の醍醐味である。

私が道を訪ねた人たち(主に若者) 全員が押しなべて親切に対応してくれた。日本人の持つ心性のやさしさが(旅は道ずれ世は情け的感覚)いまだ脈々と流れていることがよくわかって、見知らぬ街を走る悦びと解放感を味わった。

また行きは、大都市を避け明石から亀岡、から日本海の小浜にでて、敦賀、福井に向かう途中から山を越え、ちょっと寄り道し下呂温泉の近くで車中泊し、翌日ゆったりと温泉で疲れを取り、郡上八幡にたどり着いたのだが、人気のない旧街道をのんびりと休み休み走るのは、今の私には、いうことのないドライブ旅となった。
今は亡き桃山晴衣さんと土取利行さんが創設した立光学舎静かにたたずんでいた

低速運転の素晴らしさは、ゆったりと日本列島の広さを体感しながら、移り変わる日本の風景をまさにゆったりと堪能できる点にある。そういう意味で時間はかかるが、なるべく都市部を避けて、田舎道をこれから可能な限り、運転できる間は走りたい。

さて話は変わるが、私の小さな車は、助手席の背もたれを倒しあいた空間に詰め物をするとフラットになり、全身を伸ばせなんと眠ることが十分に可能なのである。

見知らぬ宿に一人泊まるよりもミノムシ状態で心地よく眠れるし、何より私のような貧乏人にはうってつけの旅人の宿、長めのいい静かな川が望める場所であれば言うことなし、たまにだからこそいいのだ。孤泊宿。

そのことを宮崎帰省旅で分かっているので 、今回も用意万端、妻が布団を敷いて、狭い車中でもできるだけ快適に休めるように工夫を凝らしてくれた。

土曜日は朝9時前に出発、大きく寄り道をして、夕刻6時、下呂温泉の近くで陽がとっぷりとくれたので早めに、お蕎麦で夕食を済ませ 、缶ビールを買って安全なちいさな清流のそばに車を止め長時間の運転で疲れた体を車中に横たえた。

ヘッドランプで照らしながら持参した本を読んでいたら、あっという間に睡魔がやってきた。夜中トイレに起きたが、10時間近くを車中で過ごした。爽快な気分で目が覚めた、雨は。昨夜から降っていなかった





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