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2017-07-05

雨の朝、弓の効用に想いを馳せる。

7月に入ったと思ったら、いきなり暑い日が続き、台風の上陸、そしてまさに梅雨本番を思わせる雨の朝である。

晴れていたら、ほんのちょっとでも竹韻庵の草を刈らないと、と思うのだが(とにかく今の季節の草の伸びようははんぱではないから)雨の日はゆったりと、ささやかな一文を紡げるのが、これはこれで実にうれしいいっときなのである。

日々是好日というが、まさに日めくりでお天気と共に私の体は変調しながらも、その感覚にそって体調を整えながら、移ろいゆく体と心を自律しながら、過ごしている。

何度も書いているが、気が重い時には、あえて雑巾がけをし、隅々までふき取って気分をのせていったり、早朝の朝湯を楽しんだりしている。(今朝も湯を浴びました)

草刈り、声出し、弓といった3本の矢以外にも、こうやって五十鈴川だよりを書いたり、読書の時間、夕方の図書館公園時間、メルの散歩、フルタイムで働いている妻の代わりの買い物や、生活全般のあれやこれやで、私の現在は流れてゆく。
私より二つ若いこの方の御本を素晴らしく感じる、一日で読み終えた

現在の日々の暮らしを、家人共々いかにして気持ちよく過ごせるかが、何よりも肝要な 今の私の暮らしむき、私だけが気持ちが良い暮らしなどといったことはありえない。

ところで、昨日も早朝、竹韻庵で2時間ほど過ごし、着かえてさっぱりしてから弓の自主稽古をしていたら、私が帰るころ女性の方が稽古に来られ、熱心ですねと声をかけられた。

私の恥をさらしての自主稽古が他者の眼にどのように映っているのかは、皆目見当がつかないし、関心もないが、弓を始めてもうすぐ5ヶ月、わずかな時間を見つけて、足しげく門をくぐる日々を送っている。

正直こんなにも、素引きの稽古をしようとは思わなかったが、心身を伴っての集中力の持続という意味では、草を刈ることにも、シェイクスピア遊声塾での声出しにも、本を読むことにしても、ちょっとした料理をするにも、雑巾がけにも、あらゆる生きてゆくうえでの生活多事に対して、前向きの感覚が深まってゆくように感じるのである。いまはこの新しい感覚を大事にしたいのだ。

それを私は、弓の効用と呼んでいて、意外にも一見単調に見える 素引きの稽古は、65歳のわが体にかなりの負荷がかかるのだが、それを跳ね返す心身力が絶対的に必要なのである。

老いと共に、筋力を含めあらゆる身体機能は、下ってゆくことは自明の理ではあるけれども、この歳でも、両足腰下半身で、地面にむかって踏んばりながら、上半身を天に向かうかのように、矢をひき放つ稽古が、わが体には新鮮なのである。

相手は自分しかいないので、いやでも応でも自分と(不自由な自分の体を意識する)向かい合わないといけない。まだ始めて5カ月にも満たないのだが、人生の下り坂に弓の世界に出遭えた幸運を おもはないわけにはゆかない。




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