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2017-06-05

外山滋比古先生先生の本は、何を読んでも生きてゆく肝心なことが、実践に裏打ちされていて打たれる。

この数日寒暖差の激しい日が続いているが、おかげさまでわが体調は、すこぶる快調である。

今朝も5時に目が覚めたので、洗面を済ませメルと共に、早朝の岡山市内を快適に抜け、6時前には竹韻庵につき、すぐに体を動かし、7時にあらかじめ昨夜のうちに用意していた朝食を木陰で朝日を感じながら済ませて、もうひと働き、8時半までいて、先ほど戻ってきた。

すぐに洗濯物や布団をを干し 、コーヒータイムがてらブログタイムというわけである。何度も書いているが、あらかたの大事は午前中に済ませる。

尊敬する高齢者知識人であられる、外山滋比古先生が説いておられる、習慣は第二の天性であると。怠け者を自認している凡人の私は、先生の思考のアドヴァイスでどれだけ勇気をいただいていることか。

何度も目から鱗が落ちる思考の、ありがたき栄誉を、先生の著作から拝借、反省しながら、わずかでもと実行している。(つもりである)
先生のお若い時の論文なども謙虚に読みたくなってきた

あのお年での思考の柔軟さは、比類なく群を抜いている。爪の垢でも、大先達のあの思考の柔らかさを学びつつ生きることができれば、凡夫の私にも希望が湧いてくる。(というものだ)

あの思考が生み出されてくる秘密は 、奈変に在りや。先生は独自に考え、独自の道を泰然と地に足をつけて歩まれながら、血の流れを良くするために動きながら思考する。

先生の年齢を重ねるにつけての、磨き抜かれたシンプルな言葉の輝き、日本語の素晴らしき読みやすさは(先生のお若い時の御本も素晴らしく考えることの大切さを説き、鍛えられる)、まさに文はひとなりである。

1923年のお生まれ、驚異的な独自の思考の継続的実践力から生まれた著作の数々は、古びることなく今も(いまだから余計に)輝く。

きっと、私はこれからも先生の御本を繰り返し読みながら、これからの人生を生きる座右にしたい。日本語は上から下に縦に書く、論考など素晴らしい。このような先生に若き日に出会ったら、と私など思うが、後半の人生であれ書物を通じて出会えたのだから良しとしよう。

この10年くらい 少しずつ怠惰な自分を反省しながら、前向きにと言い聞かせながら過ごしているうちに、これまで苦手意識を持っていた、いろんなことがほとんど苦も無くできるようになってきつつある。

それは、きっと外山滋比古先生先生のお言葉から、生きる知恵を私がかってに学んできたからだと思える。

何事もある程度規則正しく、一日の時間の過ごし方を習慣化することによって、それがなせるようになってきた自分がいる。

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