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2016-06-05

時代遅れを軽々と生きる山藤章二さんにはまいりました、脱帽しました。

【老いては自分に従う】という山藤章二さんの御本をちびりちびりと時間を見つけて読み終えた。最近これほどまでにふむふむそうだそうだと、共感を持って愉しく読み終えた本の筆頭となった。

ホーバーではなく、含蓄もうんちくもまったくもって遠く及ばないユーモアと笑いのセンスの巨人の八〇歳目前の御本。老いてなお粋健康な頭脳明晰さには脱帽という言葉しか思い浮かばない。

仰ぎ見るたぐいの処世の術というしかない見事極まるその生き方には、今後の私の生きてゆくお手本の数々が、無数にちりばめられていて憧れる。人生の大先輩は大いなる我が味方、このような御仁がいてくださることははなはだ心強い。

山藤さんは、現在もハイテクとは無縁の方である。ロウ(老)テクの神髄的な素晴らしさを余すところなく、御本の中で披歴しておられる。外見とは異なるその頭脳の若々しさには、畏敬の念すら覚える。

何やらいまだじたばたしている私だが、じたばたのエネルギーはやがて山藤大先輩のように爪の垢でも煎じて歩みたいと、今更ながらのようにページを繰りながら何度も唸った。時折読むのをやめて、書き写したりもした。

 山藤氏は、まったくのアナログ生活を自由自在に楽しんでいて、パソコンやスマホには無縁(そんなものはなくても十分に愉しいことは日々の暮らしの中に見つけられるのである)な生き方を実践されている稀な稀な凛とした方である。

世の中の流れとは一線をひいて、ご隠居をしながら現役でご自分の好きな世界を、私の知らないあれやこれやの愉しい、いわば江戸庶民の知恵の宝庫、哲学的雑学落語文化の粋を余すところなく、無知な私に楽しく語ってくださる。
畳に座って、しゃがんで深呼吸して立ち上がるのです。  

絵描きとしての一流は知ってはいたが、氏独特の話芸文体も素晴らしく一流であることを遅まきながら知った。決して主流にはならない傍流の時代に迎合しない美学。

時間がないのでこれ以上書くことは控えるが、老テクノ楽しみを今後私も一層見つけたく、

時代の流行や、あらゆる表層からはずれてゆきながら、裏路地あたりでちょっとした寄り道時間を生きながら、

表街道ではなく、裏道のゆったりアナログ時間の生きやすさこそ私がこれから求める世界であるとあらためて確信した。(少し頑固な自信が付いた)

夢が原退職後、畑で土とまみれながら、私はたぶんこれまでの人生時間のかなりを自省しているのだが、その自省はこれからを生きることにつながる、何かの豊かさを与えてくれるような気がしている。

反省できる時間があるうちに反省し続けないと、何か悔いが残るような気がするのである。考え続けながら反省、自省し思い浮かぶことを実践する。

これ以上書く と野暮がすけて見えるので、本日はおしまい。

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